「30秒だけでいいの」


「30秒だけ一人にしてくれないか。」

ソファーに乱暴に自分の身体を倒して、猊下は額に手を当てた。
詰襟のホックを外し首を緩める。
親分さながらの仕事で行き詰った男前っぷりだが、その言葉に俺は溜息を吐いた。
辛いときに恋人に気を遣って欲しいなどと望む気はない。
「別に、一時間でも二時間でも俺ぁ構いませんよ。」
「いいんだ。僕、結構参ってるから。」
ぐしゃ、と前髪を掻き揚げる仕草も、普段なら絵になるなと心を揺さぶられたのだろうが
トゲトゲしている空気の中では素直にそう思えない。
参っていらっしゃるから30秒では落ち着かないのでは?と言葉を重ねようかと思ったが
それを議論するのは時間の無駄な気がして俺はただ小さく頭を下げて踵を返す。
扉の前で気配を抑えているか、窓の外に回って待っていればいい。
一人で落ち込み始めれば時間など忘れるだろう。
律儀に30秒で戻ってくるほど愚かな護衛ではない。
「では、失礼します。」
「ちゃんと、30秒数えろよ。」
扉に手をかけた瞬間、刺々しい声が背中に投げつけられた。
何か二人が噛み合っていないようだと気付き、振り返ると
猊下はやはりお仕事で疲れた男の顔をしている。
「…何か飲み物でもお持ちしましょうか?」
その為の30秒だろうか?
猊下の意図が完全に汲み取れないので俺は紅茶などの種類を限定して言わなかった。
ムッとしたように寄せられた眉間の皺に
読み違えた、と再び頭を回転させる。

「30秒経ったら、入ってきて、ここ、座る。」

俺が自分の望みに到達出来ないと、猊下はそう思ったのだろう。
ブツ切れの言葉がボタボタと上質の絨毯に落ちる。
瞬きをしてそれを見つめていると、男前の猊下は察しの悪い俺へ
参っている頭の中からまた、いくつかの言葉を投げて下さった。

「30秒ぐらいしたら、一人で居るのが嫌になって君の声に慰めて欲しくなる。だから戻って来い。30秒で。」

甘えられているのに、甘やかされていると感じる。
猊下の懐は一体どうなっているのだろう。
トゲトゲした雰囲気を保ち続けている猊下を笑うことは出来なかったが
俺は眉を下げて肩を竦めた。

「なら最初から離れない方がいいんじゃないすか?」
「いいんだよ。僕的にあるんだ。30秒の間に、色々と。」
「…はぁい。」
「よし行け。ドアを閉めたら数えるんだぞ。」



長時間扉の前で控えていようと思っていたときよりも
30秒の間にアナタが何を思うのか知りたくなった。

2008.06 thanks you web clap!

離れて欲しいけど欲しくない。
わがままだけどすなお。

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