*二人*

「どこ行くの？」
次の日の朝、ケンはヨザックの背中にそう投げかけた。

昨夜の食欲が嘘のように彼は朝食のパンの二個目に手を伸ばしている。
何の脈絡もなくグウェンダルがあーんと言いながら突き出したウィンナーに
口を開けているのを見てヨザックはようやく胸を撫で下ろした。
有利に抱っこされて眠りについたケンは夢の最初に顔を顰めただけで
それからは朝までぐっすり眠れていた。
もう大丈夫だろう。
張っていた気を緩めて、朝のうちに一仕事済ませようとその場を離れようとした瞬間
ヨザックは自分の存在を気にしていなかったハズのケンに声をかけられた。

「どこ行くの？」
「へ？」

遊び相手は日や時間によって変わり、特にヨザックの担当というわけではない。
割合としてはヨザックが多かったわけだが、コンラートが居れば彼に寄っていくし
グウェンダルのように自ら訪れられたことなど皆無である。
元々、ケンは誰かに行き先を尋ねる事があまりなかった為、ヨザックは動揺した。
振り返るともう一度言葉が繰り返される。
「あ、あー…武器庫ですけど。」
「一緒に行っていい？」
間髪入れずにそう言われ、またしても返事が遅れてしまった。
その間にケンは残りのご飯を飲み込んで仕上げにジュースを飲み干す。
足元に駆け寄ってきた彼に見上げられてやっと言われた言葉の実感が湧いてきた。
「面白くない所ですよ？」
「いい。」
「…じゃあ、行きましょうか。」
ヨザックの歩く少し後ろをケンがてちてちとついて来る。
つい先日わだかまりがなくなっただけの二人の会話はたどたどしく
ケンは返事をして頷く程度だ。
武器庫の扉を開けるとその部屋の重々しい雰囲気に入るのを躊躇う。
勢いでつれて来てしまったが子供の入るところではないだろう。
「…入らないの？」
子供でも双黒の瞳。見上げる眼は否と言わせない空気を醸し出している。
ヨザックと村田を使った公式ではどんな状況下に置いても大抵の場合
答は決まっていることをヨザックは自覚していた。
「ケン、中の武器には触らないと約束出来ますか？」
「出来る。」
いい子のケンの事だ、約束させなくても大丈夫だとは思うが念の為。
ヨザックが中に踏み出すのを待ってから彼は武器庫に恐る恐る入室した。
鉄の匂いと埃の匂いの中、ヨザックは剣を手に取った。
角度を変え、状態を確かめる。
前回の仕事で痛めてしまって修繕に出していた物が戻って来たのだ。
程度が知れていれば自分で調整したが、専門家に任せて正解だった。
これでないといけないというわけではないが、使い慣れたこれに越した事はない。
小さな大賢者は空気を読んで離れた所で他の武具を見ていた。
剣も斧もケンの生活には存在しない。記憶の中にはあるが、実際目の前にすると
違った感覚も伝わってくるものだ。
ヨザックに目をやると大事そうにその剣を鞘に収めていた。
「それ、大事なもの？」
夢で見るそれは人を斬ったり斬られたりの恐ろしいものでしかない。
ヨザックのそれを護るような所作に違和感を感じたのだろう。
「えぇ、こいつは俺の大切な相棒です。」
「相棒？」
「仕事上の大切な仲間ですよ。」
「…僕も頑張ったら出来る？」
「コレですかぁ？えーまぁ…出来ないことはないでしょうけど。」
「ケンも強くなる。」
「あー…。」
昨夜、慰めながら言った台詞を気にしているようだ。
やけに自信満々で言い切った彼の言葉がどうやらケンに引っかかっているらしい。
医者にも親にも怖いままでいいなんて言われた例がない。
「これはケンには必要ありません。」
「どうして？」
「もう強いじゃないですか。優しくていい子で。」
「強くない…走るのも嫌い。」
「それは頑張りましょう。陛下と一緒に。」
「夢も嫌い。」
「いつか分かります、その夢は…。」
「今がいい…。」
しゅん、と頭を擡げてしまった彼に申し訳なく思う。
気休めに剣を教えてやることは出来るが強さの意味を間違わせるわけにはいかない。
単純に、彼にはまだ心の強さは分からないのだ。
有利の言動からチキュウにもニホンにも戦争があることは分かる。
彼はそれに強い嫌悪感を抱いており、戦争反対、戦争根絶、の誓いを揺るがさない。
大賢者としての使命をまだ理解していない純粋なケンにもそのような意識が根付いているだろう。
この国においてはその意識で苦しむことも多いだろうが、それこそがこれからに必要なのだ。
柄を握りしめケンの前に膝をつくと、ヨザックは双黒の瞳を見据えた。
「これは大事な人を護るものです、確かに強くもなれます。ですがその為に人を斬ったりもします。」

「……護る為なら他の人を斬ってもいいの？」

随分と痛いところを突く。
他の人間にも大事な者が居て、互いがそうして護っているのだ。
言い訳ならいくらでも出来るが、全てが魔王とこの大賢者の前では無意味だろう。
そんな言い訳に惑わされない大事なものを二人は知っている。
「いいえ、人は斬っちゃいけないもんです。」
「じゃあなんで持ってるの？」
「そうですねぇ。俺は弱いからでしょうか。」
「持ったら僕も強くなれる？」
今のは人を斬りたいという意ではない。強いという言葉に惹かれているだけだ。
「持ったら強くなれると思いますか？」
「…。」
ケンは考え始めた。ゲイカは剣を持っていなかったがなんとなく強い気がする。
二人目はやたらめったら剣を振るったが強くはなかった。
三人目は強かったが直接殴っていた。
答えが出るまでヨザックはゆっくりと待った。
物事をじっくり考えられるのが村田のいい所だ。
「…分かんない。でも、持った方が良かった人も居る。」
「ケンには必要ですか？」
「要らない。人が嫌がることはやっちゃいけないんだよ。」
「お父様がそうおっしゃったんで？」
「うん。」
この国の子も人間の国の子もそうして育てられたろうに。
戦いを知らない彼を羨ましいと思う反面、甘いと責め立てたくもなる。
それは貴方が幸せだっただけだと突き付けたくなる。
「持ってた方がいい人とケンは何が違うんですか？」
「そういうところで死にそうだったから。でも、やっぱり斬ったら哀しくなるんだよ。」
４歳児の言葉に自分の傲慢さが情けなくなって黒い髪を撫でた。
甘いのは環境のせいにして人を斬ることだ。
仕方ないとどこかで自分を許してしまっていて罪の意識から逃れようとしている。
「死にたくないから、そうするしか、なかったんだけど。」
そう言ってヨザックの手の上から彼は剣に触れた。
魔王と大賢者の違いはここにある。闇雲に戦争反対を謳うのではない。
剣を持たざるを得ない者の気持ちを汲もうとするところだ。
記憶の中で戦い続けてきたせいなのかは分からないが
他人の考えと食い違ったときは一度受け止める勇気がある。
「俺は死にませんよ。死なない為に持ってます。」
「…。」
「今のケンにはまだかけっこの方が大事です。もし本当に自分に必要だと思ったらそのときは俺に言って下さい。きちんとお教えしますから。」
「お兄ちゃんには、要るの？」
「はい。」
「うー…。」
「一杯考えて下さい。時間はまだ一杯ありますから。」
「うー…。」

眉間に皺を寄せて唸り始めた村田をヨザックはひょいっと俵担ぎした。
１６の村田もこの顔で唸り始めると長いのだ。
武器庫に鍵をかけ、いつも遊んでいる部屋のソファーに乗せて放っておいたら
ケンは夕方になって、ようやく

「走る。」

という答えを出した。

→８

二人　Ⅶ

2007.11.16

二人 Ⅶ

2007.11.16

二人　Ⅶ