*二人*

「眞王に会わせても僕は意味がないと思うがな。」
窓に手をかけて流れる景色を見ている村田の腹にヴォルフラムが
腕を回して落ちないように固定した。
子育てが板について所帯じみてきている８２歳は“妙齢”の巫女を思い出して
溜息を一つ漏らす。
なんのかんのと理由をつけてもウルリーケは子供になった大賢者の顔が見たいだけだ。
この身体になってからずっと血盟城に滞在させて一度も顔を見せなかったのは
自分達とて悪かったとは思う。
それならそれで、ただ単にお顔を、と言えばよいではないか。
女と年寄りの考える事は分からない。
「子供の村田に眞王がどんなリアクション取るかも気になるんじゃねーの？」
「彼女しか楽しめないですね。」
キラキラとした“妙齢”の巫女の笑顔に再びヴォルフラムが溜息を吐いた。
何を言った所で、結局彼は言賜巫女には敵わない。
「眞王のところに行くの？」
「あぁそうだ。」
魂はここにあるのに、とでも言いたげに村田が有利を見やる。
しかし向かう方向から眞王の気を感じるのも事実。
「あまり深く考えなくていいですよ。ただのお出掛けです。」
「ぶっちゃけ俺も眞王ってどうなってるのかよく分かってねーし。」
「お前は少し考えろ。」
「考えたって分かんねーよ絶対。」
とは言え、何でも知っているのが当然だった村田の存在がなくなると
改めて彼の凄さが分かると言うもので…こんなことは稀だろうが
自分でも多少理解しておかないといつか痛い目を見そうだ。
村田健は最初から理解していたわけでなく幼い頃から
受け止めようと悩み抜いてきたのだと知ってしまうと、よりその思いは強くなる。
深く考えるなと言われたものの、村田は結局考え込んでしまった。
その横で、なんとなくヴォルフラムも考え込み始めた。
空気に合わせてみたのかコンラッドも考え込み始める。
タイミングよく眞王廟に到着しなければ有利までもが考え込み
馬車の中はおかしな沈黙に支配されていたところだろう。
到着ですよーんというヨザックの間抜けな声がここまで有り難かったことはない。
ヨザックの手をとってぴょんと馬車を飛び降りるケンの姿に空気が和む。
「ふん、最初からそうしていれば良かったんだ。」
「ヴォルフは意外と小さい子供好きだよな。」
「コイツは昔弟が欲しいと泣いたことがあるんですよ。」
「ウェラー卿！」
「へー。でもケンは育つと村田になるぜ。」
「それは言うんじゃない、兄上の前では特にな。」
「しかし、そろそろ戻って頂かないとケンももたないでしょう。」
「帰ったらアニシナさんとこに行くか。」
ぺこりと門番に挨拶をしているケンの元気が徐々になくなっているのは気付いている。
ヨザックとのすれ違いが解消されて最初より居心地よくはなったろうが
長引くほど精神に負担がかかることは避けられない。
賢い彼が親に捨てられたのでは等と疑い始めるのも時間の問題だ。

そして彼の心のバランスは思わぬ方向から傾いた。

「猊下、お帰りなさいませ。私を覚えていらっしゃいますか？」
眞王廟の独特の空気に呑まれながら案内された先はやはり眞王の魂の或る場所だ。
小さな村田に眩しそうに目を細めウルリーケが恭しく頭を垂れる。
初日に一度だけ会った彼女の言葉に村田は小さく頷いた。
「では眞王陛下の御許へ。」
「…。」
不安げに村田は辺りを見渡した。姿の見えない眞王の気が溢れているせいだろう。
何に対しても嫌と言わない彼が少し心配になったが
まさか眞王が小さな村田をとって喰いはしまい。
気合だ気合！という思いを込めて有利は村田に向かって握り拳を突き出す。
「さぁ。」
そっと背に手を添えられた彼はゆっくりと玉座に近付き上を見上げた。

途端、村田の頭の中に声が響いてくる。
一番強い思い出の中にある声だ。

眞王。

感覚としては分かる、何度も何度も夢に出て来ているので顔も分かる。
『ほぅ…面白いものが来たな。』
どこからか見られている気がする。でもどこからだか分からない。
姿は見えないのに声が聞こえてくる。
「…どこに居るの？」
「すぐ近くですわ。お姿は見る事が出来ませんが…。」
『見えなくても俺の声は聞こえるだろう？』
聞こえているが、姿が見えないと気持ちが悪い。
『随分と小さくなったものだな、俺の大賢者。』
ふわり、と頭に手を置かれたような感覚。その感触は温かかったが
脚が竦むような気もした。
自分の中の“思い出”が勝手に引き出されていく。
眞王の声に合わせて、大賢者の思い出が飛び出してきて瞼の裏を走り始めた。
洪水のようになったそれを止めたくてギュッと目を閉じても
それはどんどんと自分を侵食していく。
ダイケンジャ、と呼ばれる人が自分の口を使って今にも話し出しそうだ。
思い出に取り囲まれて自分がどこに居るのか分からない。
あちこちから声が投げつけられて頭が割れそうだ。

怖い。

怖い。

怖い。

自分の中に誰かが居る。
出て来る。
バラバラになる。

ダイケンジャじゃない…！　

「…っ。」
耳を塞いで、村田はその場に蹲った。
「猊下！」
ウルリーケは村田の肩を抱き眞王を見上げた。
彼の光は温かで、この小さな大賢者に害をなしたとは思えない。
まだ早すぎたのだろうか。
魔力の強い者が同じく魔力の強い者の気にあてられることはよくある。
太陽と月という対極の関係にある二人ならばそれも考えられる。
それ以前にこの存在を幼い大賢者では受け止めきれない。
「ケン！」
「陛下、猊下をお連れになって下さい。」
「あ、あぁ…大丈夫か？」
背中を摩って顔を覗き込むが彼はぎゅっと目を瞑ったまま震えている。
宥めた所で動く事は出来なそうだ。
前に回り脇に手を差し込んで抱き上げると小さな村田は思ったより素直に
有利に手を伸ばして首にしがみついた。
「よしよし、ゴメンな。誰も居ないのに声とか聞こえて怖かったよな。」
ぽんぽんと肩を叩き赤ん坊をあやすように有利は身体を揺らした。
ただギュッと手に力を込めただけで言葉は返されない。
これは連れて帰って気長に宥めるしかなさそうだ。
「ゴメンなウルリーケ。」
「いいえ、私達こそ軽率でしたわ。申し訳ありません。」
「巫女さん達が謝る必要はないって。」
「ケン…。」
ヴォルフラムが彼の背中を優しく撫でてやるが
顔を有利の肩に押し当て、更に腕で隠すようにしており表情すら分からない。
この空間を拒絶しているのがひしひしと伝わる。
「行こうユーリ、ケンにはまだ早かったようだ。」
「ヨザック。」
「すぐ出せるようにしますよ。」
ヨザックはすぐに外への扉へと急いだ。
本来なら自分が抱き上げてやりたい所だがようやく打ち解けた自分より
最初から懐いている有利の方が安心するに決まっている。
それよりも本当の母親が居ればどんなにいいことか。
彼の為に今自分が出来るのは馬車を出す準備を急ぐことだけだなんて情けない。
小さな心が壊れるほどの悲鳴が
言葉を発することさえ出来なくなっている村田から響いて、牙を噛む。

助けたくとも運命に介入する術を、自分は持っていない。

「くそ…っ早いとこ頼むぜアニシナちゃん。」

猊下、俺は１６歳の貴方の強さと自分の不甲斐なさを
またしても思い知りましたよ。

→６

二人　Ⅴ

2007.10.17

二人 Ⅴ

2007.10.17

二人　Ⅴ