*二人*

ことの起こりは、やっぱりヨザックだったりする。
「猊下ー！猊下ぁあー！！」
王佐の如き叫びを血盟城中に轟かせ自慢の筋肉で石の廊下を蹴り
瞬くスピードで駆ける彼の手には絵が一枚握られていた。

ヨザックはそのとき村田を探していた。
陛下とヴォルフラムの仲介をしていて気付いたらお姿がと
爽やかに言うコンラッドを蹴飛ばして廊下に飛び出し
とりあえず血盟城の村田の部屋、有利の部屋、中庭、書庫と探したが
小さな村田はそのどこにも居なかった。
１６歳の村田なら簡単なのに、と溜息を吐きヨザックは長い廊下を途方もなく眺める。
彼は大賢者様の記憶を使って秘密の抜け道から
自分が通り過ぎるのを見ているのではなかろうか。
小さな村田は人に意地悪をするようなひん曲がった子供ではない。
だが自分を見ると逃げ出す傾向にあるのでこの考えも一笑にして却下出来なかった。
動きはゆっくり、性格は優しく大らか、外で遊ぶより静かに本を読むのが好きという
絵に描いたような優等生。
苦手な運動や鬱陶しい祖父ギュンターに付き合っているところを見ると
人の為に我慢してしまう子供だということも分かる。
その子供が、自分を見ると魔王の後ろに隠れたり本で顔を隠したりするのだ。
我慢も出来ないほどに自分が怖いのだろうか。
ジュースやお気に召しそうな本を差し出すときちんとお礼を言って下さるが
その瞳は明らかに、泣きそう。
近付けば怯えさせてしまうのが分かっているなら距離を置けばいいのだが
大切な村田に何かあっては、とどうしても側を離れることが出来ないのだ。
「あー…俺って存在自体がもう嫌がらせですよねー…。」
がっくりと頭を擡げていると廊下の向こうからパタパタという小さな足音が聞こえた。
その方向は小さくて可愛いモノが大好きな上司の執務室だ。
彼は強面の癖に子供には好かれる。
また村田の中の自分の順位が下がった。
逃げられるのを覚悟で角を曲がると村田は思ったより近くに来ており
あわや衝突し転倒するところであったがそこは眞魔国一のお庭番
バランスを崩した小さな身体を上手く腕の中に抱きとめる。
「わ。」
「っと、すみません猊下。」
「ヨザの、お兄ちゃん。」
息を切らせた彼に腕の中から見上げられたヨザックは
ビックリしたまま名前を呼ぶその顔が、あまりにも１６歳の村田と同じだったので思わず笑みを零した。
既に体力の残りゲージが少ないのか、村田は逃げ出さない。
愛しい存在をこのまま離したくないがそうもいかずに
ゆっくりと身を離し微笑みかける。
「親分のとこで遊んでらしたんですか？」
「うん、グウェンのおじちゃんのお手伝いした。」
「おじちゃん…確かに猊下からすりゃそうでしょうね。」
それでも、おじちゃんと突きつけられて衝撃を受ける上司の顔はかなり笑える。
思い出しならぬ思い笑いでヨザックは肩を震わせた。
村田は何故だかは分からないが笑っているヨザックに
“仲直り”の絵を渡すのは今だ、と思った。
ドキドキする気持ちを抑えて絵を差し出す。
「お兄ちゃん。」
「はぁい？」
「コレ。」
ヨザックは色鮮やかに描かれたそれを覗き込んだ。
中央に真っ赤なドレスの女性が居る。
傍らには茶色い髪と白い軍服。真っ黒い男性、黄色と青のもう一人。
端の白い長髪の男性は右半身だけで左半身は残念ながら
紙の外になってしまったらしい。
先日行われた舞踏会の絵に違いない。
真ん中の女性はやけに大きいが黄色の髪にドレスなのでツェリ様だろう。
もっと違う服だったような気がするがあの存在感を
デカさで表すとは子供でも村田の芸術性は高いと思った。
それが女装姿の自分であることにヨザックは気付かない。
真っ赤なドレスで顰蹙を買ったことも目の前の小さな村田との問題の前では
遠い彼方、色褪せすぎて忘れ去られた思い出も同じだった。
スミレ色ではない白い長髪の男性と同じく、グウェンダルの貸してくれた画材は
本当に基本色のみでオレンジがなかったのだ。
グウェンダルは大きさと碧眼と髪の長さからして充分ヨザックに見えると思ったのだが
自分を絵にして下さるなんてありえないと思っている部下には
思わず絵にしたい愛の戦士ツェツィーリエに見えたようだ。
「猊下は絵がお上手なんですね。」
そう言うと村田はパッと顔を明るくさせた。
今までにない反応に褒めればもっと笑って下さるのではないかと考えたヨザックは
よかれと思って要らぬ言葉を重ねてしまった。
お約束の展開だ。
「特に真ん中のツェリ様なんてよく特徴を捉えてて。」
途端、小さな村田の表情に影が差した。
傷付いた顔をして捨て猫が何かを諦めるように俯いてしまった彼に
ヨザックは慌てて背に手を沿え顔を覗きこんだ。
「猊下！？どうなさったんですか！？どこかお加減が！？」
「…あげる。」
「え？」
「コレ、あげる。」
「は、はい。どうも…っ猊下！？」
両手で突き出された絵を受け取ると村田は突然にヨザックの横をすり抜けた。
早くない脚で駆けていく村田の後姿は拒絶の色が濃く出ている。
呆然とその後姿を見詰めていたヨザックは暫くして本日何度目かの溜息を吐いた。
先程まで機嫌が良さそうだっただけに“また逃げられた”という落胆も大きい。
何故、彼はいつも自分に笑ってくれないのだろう。
オドオドと見上げ、慌てて目を反らし、ときには姿を隠し
自分の何気ない言葉に傷付いた顔をする。
「子供って分かんねー。」
メイドや衛兵がそこら中に居る血盟城内なら大きな問題は起こるまい。
慌てて追いかける必要もないだろう。
その前に魔王陛下に怖がらせてばかりの自分よりも
母性と温かみのある女性兵士を村田に就かせた方がよいと提案することにしよう。
ヨザックは益々明後日の方向に進んでいた。

意気消沈して魔王の部屋を珍しくノックしてから開きその旨を伝えると
予想通り魔王は眉を八の字にして淋しそうな顔をした。
「えー…そんなこと言うなよー。」
「でも陛下ぁ、猊下は俺を見る度に泣きそうな顔するんですよー。」
自分とて側に居られるならずっと付き添って居たい。
触れるのがダメならせめて目の届く所に、と思ってはいる。
しかし毎度泣きそうな顔をされては自分が彼の負担になっているとしか思えない。
小さな子供にストレスを与え続けるのは忍びない。
それでなくとも、記憶という重荷を背負っているのだから。
「俺は先程頂いたこの絵を心の支えに可愛い猊下の護衛を退きます。」
「絵だと？どれ見せてみろ。そうか、ケンは絵を…そうかそうか。」
厚い胸板に優しく抱き締められている絵は勿論小さな村田が描いた
“ヨザックがメイン”の絵である。
絵画を趣味とするヴォルフラムは“大賢者の描いた絵”に興味を示した。
それと同時に、うっかり息子同然に可愛がり始めている村田に
僕が絵の手ほどきを…という親心を炸裂させた。
魔王も小さな村田をそれなりに可愛がってはいたが…所詮、村田は村田。
元に戻ったときの切なさを考えると婚約者ほど小さな村田の教育に熱を上げられない。
婚約者の肩に顎を乗せてヨザックから奪い取られた絵を覗き込むと、
それは意外なことになっていた。
「んあ？」
「グリエがメインか？」
「これ村田がくれたんだっけ？全然嫌われてないじゃん。」
「はぁ？」
「この僕たちを差し置いて目立つふてぶてしさ…よくお前を捉えているな。」
「はは、一人だけデカイや。真っ赤なドレスがよっぽど印象に残ったんだな。」
「忘れようと思っても忘れられないだろう。」
「確かに。でもこれ普通に似てる。ヨザックっていうかグリ江ちゃんだけど。」
「え？ちょっと待って下さいよお二人さん。それはツェリ様でしょう？」
「へ？なんでツェリ様？」
「お前の目は節穴か？どこをとってもお前にしか見えないじゃないか。」
「だって、髪が黄色ですよ？」
「長さとか分け目とかここの不自然な曲がり具合からしてヨザックだろ。」
「お前の理論でいくとこれは誰だ。白髪でもギュンターだろうが。」
「…本当に俺ですか？」
「ツェリ様、紫のスパンコールだったし。」
「兄上とウェラー卿と並んでいて母上をこんなに豪腕に描くわけがない。」
「…………じゃあこれ。」
「お前の為に村田が描いたんだろ？」
「…………やっちまった！！」
「？」
「閣下！！それを返して下さい！！」
ひったくる勢いで絵を奪い返したヨザックに魔王と婚約者はびっくらこいて
元から丸い目をより真ん丸くした。
非礼を詫びる事もなくお庭番は廊下に飛び出した。
泣きそうな顔の理由が、分かってしまった。
打ち解けようと歩み寄ってくれた村田を勘違いから傷付けてしまっていたのだ。

「猊下ー！猊下ぁあー！！」
あぁ、なんてことを。
急に歩み寄ろうとして下さった理由は分からないが猊下の思いを見誤るなんて。

曲がり角でどちらにしようか迷う。書庫か、お部屋か。
ずっと見守っていたはずなのに、分からない。
こんなとき小さな猊下はどちらにいらっしゃるのか。
１６歳の猊下なら…。

「グリエ。」
「おわ！」
「…ケンの絵が。」
「あー！少し折れちまったじゃないですかー！」

迷っている所へ後ろから声をかけられぎゅっと絵を抱き締めたら
端の方の…王佐殿辺りに折り目がついてしまった。
キィッと睨むとここが戦場ならお前は死んでいるぞ。
とでも言いたげな上司の目が出迎えてくれた。
「ケンはどうした。」
「そうだ！俺猊下を探してるんですよー見ませんでした？」
ピク…と潜められた眉にわざと一歩下がってみせる。
両手を挙げて言われる前から降参ポーズ。
「ケンが…自分はお前に嫌われていると。」
「…なんだって？」
「自分が“猊下”ではないからだそうだ。」
「そんな、俺は。」

「自分を見るといつも哀しそうな顔をすると言っていた。」

「猊下！！」
蹴破る勢いで開けたドアの音に驚いて暗闇の中の村田はビクッと身を跳ね上がらせた。
不貞腐れていたのか、落ち込んでいたのか。
明かりも点けずにベットにぽてんと横になっていたらしい。
「お兄ちゃん？」
薄暗い部屋の中でも大きな瞳は煌いて、きょとんと丸められているのが分かった。
涙で煌いているのではない。
「良かった…泣かしちまってたらどうしようかと…。」
「うん？」
微笑み、までいかないような笑みを浮かべて村田が首を傾げる。
高貴な人のそれに今更ながら萎縮してヨザックは膝をついた。
穏やかな闇に少しの畏怖と愛おしさが込み上げて舌がもつれる。
「これ、絵…ありがとう御座います。」
それだけで彼には間違いに気付いた事が伝わったらしい。
一度居心地悪そうに口を歪め迷ってから言葉を紡ぐ。
「……似てなくて、御免ね。」
「そんなことないっすよ！俺、えーっとその、目が悪くてですねぇ！」
「…そうなんだ。」
聡い子供だ。受け止められた嘘が静かに彼を切り裂いていくのが分かった。
何度自分は、小さな村田に受け止めさせていたのだろう。
沈黙が泥濘のように纏わりつく。
言葉を尽くさなくては、と思う。
理解して貰えなくてもいい、分かっているのに
想いばかりが暴れまわって喉の奥で痞える。
沈黙を、凛とした村田の声が先に破った。
「ヨザのお兄ちゃん。」
「はい。」

「僕のこと、嫌い？」

力もない子供の貴方はいつだって自分より勇気があって強い。
ヨザックが突きつけられたくなくて問うことが出来なかった言葉を
４歳の村田が闇に放った。
己の浅はかさに胸をチリチリと焼かれながら久しく口にしていなかった想いを吐露する。

「好きですよ。」
「…本当に？」
「猊下は？俺のこと、嫌いじゃないですか？」
ヨザックの言葉に、村田は僅かに目を伏せ首を振った。
「…わかんない。“ゲイカ”の思い出にお兄ちゃんは居ないから。」
御免ね、と続け胸の辺りを掴み先程とは違い小さくなって俯く村田の顔は
幾度となくヨザックが見た顔だった。
自分が彼を呼んだあとの顔だ。

猊下、と。

「…違います。俺は…。」
大昔の猊下とは会った事がありません。
そう言いかけて、口を噤み別の言葉にした。
「貴方は、俺の事が嫌いですか？」
「…ううん。」

嫌われていなかった、それだけでこんなにも嬉しい。
目の前の“村田健”が、愛しい。
１６歳の村田ではない。４歳の村田にヨザックは初めて触れた気がした。
４歳の村田に１６歳の村田を求め、すれ違い、自分だけが
愛を奪われて落ち込んでいると思い込んでいた。
彼も傷付き、耐え続けていたというのに。
こんなにも優しい絵を描いて下さった。

絵の中の俺は笑っている。

猊下、猊下もこの夜、楽しかったですか？
大好きなお料理を陛下にこれでもかって盛って頂いて目を真ん丸くした後に
お部屋の隅でちょっと幸せそうに食べてましたよね。
俺が盛って差し上げたかったなって思って見てたら目があって
あのときも猊下はどうしていいか分からない顔をして困っていらした。

でも猊下は、いつも俺の視線に気付いてこちらを向いて下さった。

「…問題です。ヨザお兄さんの鳩胸を叩くと何が出て来るか知ってますか？」
「？知らない。」
「じゃん、お菓子が出てきます。」
「…なんでいつも僕の好きな物持ってるの？ジュースもご本も。」
「それはですねー。」
クッキー、果物、本、本物の鳩、と飛び出すおかしな鳩胸に
目をパチクリさせる彼のお膝元へそれを並べながら
ヨザックはバカなこだわりで呼ぶ事の出来なかった彼の名を
心から微笑んで口にした。

「ケンが大好きだからです。」

→５

二人　Ⅳ

2007.08.04

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2007.08.04

二人　Ⅳ