*二人*

有利とキャッチボール、ヴォルフラムと剣術、ギュンターの歴史書読み聞かせ。
グレタ不在で子供に飢えたロイヤルカップルと祖父ギュンターに
構われまくって少々お疲れ気味の村田が最終的に辿り着いた先は
意外にもフォンヴォルテール卿グウェンダルのところであった。

執務室のソファーにお行儀よく座っている村田の隣には
クッションとお友達代わりにグウェンダルから貰ったあみぐるみが何体かある。
時折ふわふわと地につかない膝から下を揺らす以外、
村田は貝のように静かに本を読んでいた。
ちなみに毒女アニシナではない。
猫ちゃん帽子など、小さくて可愛い彼に着て欲しい物は山ほどあったが、グウェンダルはそれよりも心配が先に立った。
執務のジャマにはならないが窓の外から入ってくる魔王のはしゃぐ声を聞いていると
子供は外で遊ぶべきなのでは、と思えてくる。

「…ケン。」
「…ぅん？」
まだ意識が半分本に向いている。
黒曜石の瞳が少ししてから声を追いかけるように上げられ、グウェンダルを映すと小首を傾げた。
仕草だけなら１６歳の村田も同じだった。
１６歳の村田よりも表情に影を背負っている気がしたが、それはきっと間違いではないのだろう。
外で遊ばなくていいのか、という言葉を飲み込む。
「その本は面白いか？最初は毒女アニシナを読んでいたと聞いたのだが。」
「あの本は…いつも誰かが怖くて可哀相だから、読むのやめた。」
「…そうだな。あの本はとにかく恐ろしい。」
「おじちゃんも怖くてやめたの？」
４歳にとっては見た目が２０歳を越えたら皆おじちゃんとおばちゃんだ。
悪意なくおじちゃんと突きつけられたグウェンダルは一応の抵抗を試みる。
「フォンヴォルテール・グウェンダルだ。」
「どこまでが名字？」
「グウェンとでも呼べばいい。」
「分かった。」
パタン、と本を閉じた村田が徐にグウェンダルの執務の机に寄ってくる。
机の縁に手をかけ背伸びをして書類を覗き込むとまた小首を傾げた。
「お仕事大変？まだ終わらない？」
「あぁ…もう少しかかる。」
「見ててもいい？邪魔しないから。」

兄上、遊んで下さい。

末の弟は入ってくるなりそう言って自分の腕を掴んだものだ。
他人だから、という理由は大きいだろうがリンジーにせよグレタにせよ
自分への恐れがとれれば多少の甘えや我儘が出たと言うのに。
コンラートが自分を抑えるようになったときと似ている、と感じたとき
グウェンダルは自分の座っている椅子を少し引いた。
「ケン、お前に頼みがある。」
「うん？」
「私がサインをしたらここに判を押してくれないか？」
「でもそれ、大事なお仕事のなんでしょ？」
「押してあることが分ればいいものだ、多少ずれたり掠れても問題ない。」
実際に判が掠れてしまっている書類を見せても村田は“お手伝い”を引き受けない。
自分が気遣われていることが判っているようだ。
このままでは村田が自分の存在は邪魔だったと捕らえて出て行きかねない。
「いちいち持ち変えるのが面倒でな。お前が嫌なら無理にとは言わん。」
戸惑いを隠しきれない大きな瞳を真っ直ぐと見て微笑む。
「じゃあ椅子持ってくる。」
ここは引く所ではない、と判断した賢い４歳児は
そのお願いが気遣いと判っていても瞳をキラキラと輝かせた。
ようやく見えた子供らしい表情にグウェンダルはほっと胸を撫で下ろす。
こんな風に子供の頃から大人の顔色を伺い我儘も言わず気遣ってばかりいれば
腹黒…もとい、内側を見せない性格になるのも無理はない。
そうだ、今思い切り可愛がれば１６歳に戻ったとき
素直で可愛い大賢者が出来上がるのではなかろうか。
そう、素直で可愛いだいけ…残念ながらグェンダルは想像だけで背筋が凍った。
「待て、ここに座れば持って来なくてもいいだろう。」
「お膝…？」
「嫌か？」
「ううん。」
自分の膝に乗り上げる小さな村田の腰に左手を回し落ちないように支える。
はにかんだ笑みで一度グウェンダルを見上げた村田はぺったんぺったんと
真面目に仕事をこなしてくれた。
サインが終わるとすぐにそれを横に避けグウェンダルが文章に目を通す間に
丁寧に判を押す。
魔王のように処理し終わった書類を横に放ることもない。
色の違う書類は別に分けた方がいいのか、という細やかさまで見せる。

子供なのに汁出しギュンターよりよっぽどいい働きだ。
何より可愛くて癒されるのが良い。

「城で不自由していないか？何かあればすぐに…。」
親元から突然引き離され慣れない異国で濃い集団に囲まれているのだ。
不自由がないわけがない。
お膝に村田を乗せての共同作業の間、グウェンダルは根気よく彼に話を振り
打ち解けたと思ったところでようやく気にかけていた話を切り出した。
ぺた…。
と村田の判を押す音が元気をなくし顔は見えないが頭の動きから
瞼を僅かに伏せたことが分かった。
羽ペンを置き、膝の上の村田を持ち上げ自分向きに座り直させる。
「…お兄ちゃんに、遊んでくれなくてもいいよって、言って？」
「お兄ちゃんとはユーリか？ヴォルフか？それとも…。」
「オレンジのお兄ちゃん…。」
最初の印象をまだ引き摺っているのか。幼児にとってあの筋肉は脅威なのか。
それとも、この大人しい子供と荒くれ者のお庭番は本質的に合わないのか。
ヨザックを見るとあからさまに逃げ出すことも知ってはいたが
苦手な相手の１人や２人、大人になっても存在する。
ただでさえ濃い集団に囲まれているのだ。
それぐらいのことがあっても仕方ないと思っていたが
ヨザックにとっては誰よりも愛しい村田にここまで嫌われているとなると
やはり同情したくなる。
「私が弁解するのもなんだが、あやつは多少荒っぽくもあるが人格的には…。」
「ヨザお兄ちゃんは優しいよ。」
「では何が問題だ？…まさか…。」

子供相手に大人の行為を！？
そんな、確かに１６歳の大賢者とヨザックは恋仲であったが
幼児になった彼にまで手を出すとは思えない。
これは挨拶だ、と抱き締める程度なら？
それでもこの鋭い子供がその生暖かさに気付いて？
信頼する部下であり幼少期から弟と共に可愛がってきた
ヨザックの劣情妄想にグウェンダルはめまいを覚えた。
酷い上司は、彼ならもしかしたら、と思ったのである。

「僕を見ると、いつも困った顔する。」
「…なに？」
「僕が“ゲイカ”じゃないから…。」

思いがけない一言にグウェンダルは聡い彼を哀れに思った。
とくとくと流れ込んでくる痛みを受け取り、彼から自分へと
移してしまいたくて頭を撫ぜ小さな手を取る。

「…ヨザックがそう言ったのか？」
「…言わない。でもいつもゲイカって呼ぶし、僕を見ると哀しそうにする。」
「それでお前はヨザックを見ると逃げ出して…。」

まだ理解出来ない彼の痛みを感じた村田は小さな頭で一生懸命考え
ヨザックの視界に入らなければ哀しい顔をさせなくて済むと思っていたらしい。
自分を嫌っていると思われる相手に優しくして貰うことを
村田はどんなに申し訳なく思っていたのだろう。
自分が“ゲイカ”でないせいだという痛みにひたすら耐えていたというのか。

「それはお前の思い過ごしだ。」
「でも。」
「直接聞いてみるといい。ヨザックは誰よりもお前を愛している。」
「…本当？」
「あぁ、あみぐるみにかけて誓おう。あやつは不器用で好きな者の前では上手く話せんのだ。」
「……賢淑が咏梅を苛めるのは好きだからだってお父さんが言ってた。」
よくわからない言葉が入ったが恐らく名前だろう。
その部分だけ発音の仕方やイントネーションが違うのは中国語だからである。
村田・バイリンガル東大Ａ判定・健の末恐ろしさはある意味幼少期のアニシナと張る。
分からないその部分は曖昧に頷き、グウェンダルは机の引き出しからクレヨンに似た物を取り出した。

「言葉で聞き辛ければ手紙でも絵でもいい。」

「できた。お兄ちゃんにあげる。」
「………………。」

村田が描き上げたヨザックが真っ赤なドレス姿だったことに
フォンヴォルテール卿グウェンダルは部下を鍛えなおす決意をした。

→４

二人　Ⅲ

2007.06.20

二人 Ⅲ

2007.06.20

二人　Ⅲ