*二人*

「ではこの惨事は全てお前が招いたと言うのだな？」
「惨事とは失礼な、高尚な研究の過程において起きた不慮の事故と言って頂きたい。」
「この現状を惨事でなくてなんと言う。」

大賢者（ミニ）の服は記憶が確かなら自分が幼少の頃に着ていた物ではなかろうか。
母である上王陛下の倉庫から持ち出されたお気に入りの一品に違いない。
これよりも昔コンラートが着ていた…いや、ヴォルフラムの真っ青なあの服の方が…。
フォンヴォルテール卿グウェンダルは目の前の最上級に小さくて可愛い者に深い溜息を吐きながらも彼に似合うお洋服へと考えを巡らせていた。
「猊下は一体何を飲んだんで？」
「身体が柔らかくなる薬です。最近の魔族は男性ばかりか女性までも柔軟な筋肉を失いつつあります。一番身体の硬そうな猊下にお願いしたところ快く実験体になって下さいました。」
アニシナは膝をついて村田の目線に合わせた。
魔王陛下とお手々を繋いで現れた大賢者様は彼女が毒女と知らぬが故に
真っ直ぐに瞳を見つめ返している。
黒曜の瞳は決して“からこん”で作られた偽者ではない。
「お伺いします、貴方は本当に猊下なのですか？」
「ゲイカじゃない、村田健だよ。」
「えーとな村田、猊下って言うのは名前じゃなくてお前の役職…役職は違うな、敬称っていうかー…えーと…。」
「ゲイカは一番はじめの人。僕は村田健。」
小児科医の“自分と記憶を混同しないように”というある種の“躾”は
この時点で既に成功しているようだった。
それ以前に“猊下”という単語自体もよく分からない村田にはその呼ばれ方が
どうも納得出来ないらしい。
意味は分かっていても陛下より有利と呼ばれたい魔王は繋いでいた手をそのままにアニシナと同じく膝をついて親友に目を合わせた。
「そうだな。今のお前は大昔の大賢者じゃなくて村田健だよな。」
「…なるほど、知能も４歳児というわけですね。…確かに貴方はムラタケンであってかの大賢者ではありません。では私は貴方をなんとお呼びすればよろしいのでしょうか。地球ではどのように呼ばれてたのですか？」
「健。」
「では私も貴方をケンと呼ぶ事にします。私はフォンカーベル二コフ・アニシナ、アニシナとだけお呼び下さい。」
村田が頷くのを待ってからアニシナは立ち上がった。
彼はただただアニシナを見上げている。
容姿は異なるがこのサバサバとした空気と働く女性の貫禄が彼の母親に似ているのかもしれない。
毒女アニシナの本さえ読まなければ。
「すぐに解毒…いえ、反対の効能の薬をお作りします。」
「お仕事に行くの？」
「えぇそうです。」
「僕のお母さんもお仕事してるんだよ。そういうときはジャマしちゃダメだってお父さんに言われた。」
「お母上は稀少な男性を捕らえたのですね。」
捕らえた、という言葉の選択に場の男性陣が口元を引き攣らせたそのとき
グウェンダルは村田の頭を撫でていた。手が早い。
「ケン、か。俺もそう呼ぼうかな。つうか皆もゲイカ禁止な。コイツが混乱するから。」
「な…っ猊下のお名前を呼び捨てろとおっしゃるのですか！？」
「ケン、この人はギュンターおじいちゃんだよ。」
「！！！！！」

「おじいちゃーん。」
「はいはーい♪なんですかー？ギュンターおじいちゃまがすぐに行きますよー♪」
「…ユーリ。いくらなんでもおじいちゃんはないんじゃないか？」
「いいんだよ、前に鼻血噴きながら俺が孫っていう妄想してたから。」
「あの人も昔は若い兵士の憧れの教官殿だったんですけどねぇ…隊長なんて親みたいに慕ってたってのに。」
渋谷有利はフォンクライスト卿ギュンターを毒なしで動かした。
ずる賢さが１あがった。
村田健は異世界で新しいおじいちゃんを手に入れた。
持ち物がいっぱいです、ギュンターを捨てるか他のアイテムを捨てて下さい。
コンラートは袋の中から幼少期からの剣の師匠への憧れを捨てた。
今まで妄想の中の“おじいちゃん”どころか村田に“ギュンター”とさえ
呼ばれたことがなかったのだ、喜ぶのも無理はない。
「ギュンター。そろそろ十貴族との定例会議の時間だろう。」
「そんなのグウェンダルに任せておけばよいのです。」
「兄上をなんだと思っている！お前は王佐だろうが！僕と一緒に会議に出るんだ！」
むんずっと服を掴まれた王佐殿は王佐以前に自分の生まれ故郷の代表の筈。
孫が国を滅ぼす瞬間だ。そうそう立ち会えない。
「会議ってことは俺もかぁ…コンラッド、ヨザック、ケンをよろしくな。」
「了解しました。」
「弟の可愛かった頃を思い出しながらお相手させていただきますよ。」
「どっか行くの？」
「うん俺も仕事、すぐ戻ってくるからさ。大人しく待っててな？」
「…うん。」
何度か瞬きをして村田が小さく頷いた。一緒に居てやりたいのは山々だが
自分が残れば王佐も残ると言い出すに決まっている。
しゅんと俯かれると相手は村田であるのに休日出勤の父親気分に
なるのは何故だろうが。
そういえばあの頃…父親は会社に行きたくないよ、ゆーちゃんと玄関先で
自分に縋って泣いていたような。そんな恥ずかしい遺伝は要らない。
「終わったらキャッチボールしようぜ！な！よし！行くぞヴォルフラム！」
ぐっと自分に喝を入れて未練を断ち切るように有利は駆け出した。
その後姿が自分の父親にそっくりなことを彼は知らない。
遠ざかる魔王を途方もない様子で見つめている村田に
嫌われ気味のヨザックがいつものように間延びした声で話しかけた。

「さーて猊下、何して遊びますー？」
チラ、とヨザックを見上げたあと村田はコンラートに向き直した。
子供は露骨で残酷だ。
「………お兄ちゃん達のお仕事は？」
「ケンと遊ぶのがユーリに命じられた今日のお仕事なんですよ。」
「ユーリ。」
「えぇ、さっきの黒い方ですよ。」
「本当にシブヤユーリ？」
「はいぃ？」
「だって眞王だよ。」

幼い瞳の奥に４０００年の闇が波打つ。
魂が呼び合い、感覚として彼がそうだと分かっていたのであろう。
「最初に陛下だけに反応したのはニホンジンだから、というだけではなかったようだな。」
「小さい頃からご苦労なことで…感覚では分かっても頭がついていけずに混乱しちまってますよ。」
運命のおおよそを理解し、既に誓いを立てている１６歳の村田健でさえ
その重さにこちらが目を背けたくなることがあるというのに
片手の指で足りる子供の彼の言葉はヨザックの眉間に皺を寄せさせた。
また怖がられるぞ、と腕で幼馴染の腹を小突きコンラートは
昔、弟を宥めていたときのように微笑んでからゆっくりと言葉にする。
「確かにユーリは眞王の魂を持っています。でも、それはケンが“ゲイカ”でないのと同じことです。」
「…。」
「貴方は“ゲイカ”の魂と記憶を持っている、しかし“ゲイカ”ではない。」
「村田健。」
「そう、ユーリも同じです。眞王は一番最初の人で、今はシブヤユーリです。」
「うん。」
「ケンは物分りがよくていい子ですね。」
頷き方にまだ迷いが見えたが幼い彼に全てを理解しろなどとは望まない。
自分が答えられる限りの言葉を尽くし
その中に少しでも彼の心が落ち着くものがあればよいのだ。
望むなら何度でも、必要ならば言葉を変えることも出来る。
それ以上を追求しない村田の頭を撫ぜてウェラー卿は
先程とは違う悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「何をして遊びましょうか。」
１６歳の彼が好きだと言っていたサッカーのボールはまだ作られていない。
もっとも、作ったところで観戦するのが好きな彼がそれで遊ぶ事はないだろう。
子供の遊びの王道…やはりかくれんぼだろうか？
自分に見つかると嬉しそうに抱きついてきていた弟の可愛らしさったらなかったのだが
皆に愛され甘やかされるが常だったわがままぷーと共働きの両親に
育てられた村田健の違いはこの辺りから現れ始める。
「…いい、僕ここで本読んで待ってる。…なんか貸して？」
ふるふると首を振る彼にコンラートを嫌がるような色はない。
自分の面倒を見る＝仕事＝大変、という公式は保育園で学んだのか
病院で学んだのか…手のかからない子供を無意識に目指すその様に
ヨザックは記憶以前の問題、と眉間に皺を寄せなおした。
自分とて甘やかされ一日中誰かに構って貰って遊ぶような環境では育たなかった。
だが甘えられる環境にあるなら甘えればいいと思う。
その有り難味も分からずに手放すなんて。
いや、分かりすぎているのかもしれない。
理解していたとしても有り難すぎるから遠慮するなんて
子供のすることではないと思う。

「毒女アニシナならありますよ。」
「どくおんな？」
「さっき会った赤い髪の人が書いたお話です。」
「読む。」

手を伸ばす彼にウェラー卿が何故か部屋に常備されている
毒女アニシナを手渡した。
自分が座っていい感じに本が読めそうな位置を見つけ
いそいそとそこへ移動すると彼はたどたどしく手で文字をなぞりながら
一生懸命にそれを読み始めた。
日本語でも中国語でもない、４歳児には冒頭から難しい本だと思われるのだが
彼はもう心配する護衛などそっちのけでアニシナの世界へ入っている。

「…遠慮してるってわけでもないんすかね。」
「両方だろう。遠慮はしているが本も好きなんだ。」
「つくづく猊下って別の世界のお人だわぁ。グリ江の周りには居なかったタイプー。」

元に戻るまでに仲良くなれるだろうか。
根本的な二人の相性を考えてしまったヨザックは
自分達から離れた位置を選んだ可愛らしい彼との距離を
詰めるべきかこのまま見守るべきかを迷った。

→３

二人　Ⅱ

2007.05.17

二人 Ⅱ

2007.05.17

二人　Ⅱ