大変


「もがーっ何すんですかー友達のおにいさぁーん!」
彼の頬に触れた回数なら自分の方が絶対に多い筈なのに
あの頬があんなに伸びるなんて知らなかった。
それは痛みを伴うほどに引き伸ばそうと思ったことがないからだが何か悔しい。
これが位の高い者でなければ短剣を抜き頚動脈に当て
俺の猊下になぁーにしてんだ、ぁあん?と優しく忠告するところなのに。

相手は地球の次期魔王で眞魔国の現魔王陛下の兄君であった。

「ヨザー、血盟城まで逢引しなーい?」
貴人とは思えないその軽さと誘い方がどうにも愛らしくてヨザックは眉を下げて笑った。
勿論、そんなに大声で公言しては“逢引”の意味が成立しないという指摘も忘れない。
猊下曰く、ツッコミだ。
ちゃんと僕に突っ込んでよ、なんて最初に言われたときはこんな明るいうちから
何を卑猥なと思ったが俺の取り違えだと逆にツッコまれた。
今日の猊下は機嫌がよいらしく間違えずに指摘をした俺の手を
ご褒美とばかりに握って歩き出した。
「陛下のところへ?」
「んー、陛下は陛下でも違う場所のかな。」
「は?そんな予定はなかったと思いますが。」
「“彼”にこっちの予定なんて関係ないさ。今から来る次期陛下もね。」
繋いだ手を緩く振ってのほほんと告げられた衝撃のご予定に
俺は思わず脚を止め猊下の手を引いた。
「次期陛下!?そんな、まだ陛下が即位なさってから何年も経ってないってのに…!眞王陛下は何がご不満なんですか!?」
それより、猊下は恋人の俺がハンカチを噛んで悔しがるほど
愛していたユーリ陛下が魔王でなくなってもよいと言うのか。
新しい陛下に興味津々超楽しみになさっているなんて
猊下はやはり大賢者であって、その人物に魔王になる適正があれば
誰が魔王でもよいとお考えなのだろうか。
急に猊下が遠くなった気がして自分でも縋るような表情をしているのが分かる。
必死の俺の手を握り返した猊下は苦笑して止められていた歩みを再会させた。
「だからここの陛下じゃないって。僕たちの居るチキュウの次期魔王陛下その名もー。」



「勝利!?なんで眞魔国に!?」
「何でってゆーちゃんが心配で見にきたに決まっているだろう。」
ぐい、と前髪を上げて血盟城の噴水から出て来たチキュウの次期魔王陛下は
なんとユーリ陛下の兄君であらせされた。
短いが艶のある黒髪、陛下よりも少し垂れた目尻。
黒曜の瞳は陛下にはない知性と厳しさを兼ね備えている。
年の分だけ、ということだろうか。まだ即位されてないとはいえ威圧感は流石である。
噴水の中で座ったまま会話をしていた彼に猊下が無邪気に微笑んで片手を差し出した。
既にお知り合いで猊下が彼に好意を抱いているのが分かる。
「渋谷のお兄さん、いらっしゃいませ。」
「…弟に悪影響なお友達。そうかお前とこっちでつるんでいたからゆーちゃんは中々帰ってこなかったのか。」
その手を叩き拒絶した陛下の兄君は猊下を軽く睨み付けた。
立ち上がる兄君の顔を追って視線を上げ
上から再度睨みつけられると猊下は楽しそうに笑う。
「僕じゃなくて弟さん自身のせいですよー。恋人と離れがたいみたいですからね。」
「あああ兄上!どうぞこれをお使い下さい!!」
水を滴らせている婚約者の兄に真っ赤に頬を染めたぷー閣下がタオルを差し出した。
その姿を捉えるとあちらの次期陛下は瞳を冷たく細める。
「君に兄と呼ばれる筋合いはない。」
「も、申し訳ありません…っ!」
温もりなんて全くない言葉に閣下が頭を下げ許しを請うた。
泣きそうになっている彼の背を慌てて陛下が撫ぜて宥める。
「勝利!!ゴメンなヴォルフ、大丈夫だから、謝らなくてもいいから、ゴメンな。」
「僕は…ユーリの婚約者として認められていないのだな…。」
「あーあー自分に恋人が居ないからって弟の恋人に当たるなんて…。」
「煩い弟のお友達!お前だって一人身なんだろうが!」
「失礼だなぁー恋人なら居ますよ、ね、渋谷。」
「うん。」
猊下はチキュウの次期陛…面倒臭い、ショーリ様の弟ではないから
認める認めないもないと思うのだが、とりあえずカッコイイ顔を作って待ってみた。
目立たないように咳払いをし、喉も整える。
てててっと俺の所へ戻って来る猊下。俺は最後に背筋を正した。
さぁどうぞ。
「これ僕の。」
猊下、せめて名前を。
紹介が男らしすぎて何か切なくなったがショーリ様には充分だったようで
見開いた目を俺と猊下の顔に何度も往復させた。
「な…なんだって!?」
「お初にお目にかかりま…。」
「ムラケン!!」
いくらか拭ったとはいえ、未だ水浸しの彼が猊下の元へ
びちゃびちゃと駆けて来てガッシリと肩を掴み顔を近付けた。
「何か悩みでもあるのか!?ゆーちゃんのはまだ何か、誘惑されれば仕方のない気もするがお前…お前…いや、人の好みは十人十色千差万別だ。俺も都知事になるにあたってその辺りも許容出来る器になるべきだと思っている。だがムラケン、お前は確か女が好きだったじゃないか。ゆーちゃんの話によれば家にチョコを渡しに来る女子にも恵まれているんだろう?認めたくはないがお前は模試で東大A判定が出るほどの頭脳の持ち主で、ただもうそれだけでも寄ってくる女子が居るはずだろう?あれか?男とは話せるが女とは話せないタイプなのか?いや、カモフラージュ?うん分かった。そこはもう容認しよう。俺は器が大きいからな。そうかお前は男が…………やっぱり…悩みがあるんじゃないか?ゆーちゃんのお兄ちゃんが心優しくも話を聞いてやろう。数年しか違わないがお前よりは年上だ。何かアドバイスが出来るかもしれないぞ。」
凄い。陛下も長い台詞を得意としているが兄君の方が数段上だった。
あまりの勢いに俺はそのときなんだか失礼だと思うことすら出来ずにいた。
陛下は顔を真っ赤にして“恥ずかしい兄”を止めようとしている。
勿論俺に必死に謝りながらだ。
「恥ずかしいことすんなよ!ヨザックにも失礼だろ!」
「黙れゆーちゃん!迷える高校生の1人も救えないで東京都が支えられるか!!」
「おぉおぉぉぉぉぉにいいさぁぁぁあんおぉおぉぉおちついてぇえええ。」
肩を揺さぶられ言葉も揺れる猊下。
兵隊の俺は位の高い彼の暴走を止めてもよいのか手を宙で彷徨わせた。
猊下が言って下されば動き出せるのだがその声はいつまで経ってもかからない。
「分かるぞ弟のお友達。人より秀でているものはやっかみにあうこともあるだろう。そんなとき優しくされてしまうと…。」
「気の迷いじゃないですって!心が平穏なときに彼と普通に恋人同士になったんです!」
グリ江胸キュン。
猊下は気の迷いでも何でもなく俺が好きだとおっしゃって下さったわ。
一方、手を振り払われたショーリ様は次に猊下から俺へと目標を変えた。
黒い瞳は絶対零度なのに熱く燃え滾っている気もする。
ゆらり…と黒い炎の幻が見えた。
「…おい、お前。この少年と本気で付き合っていると言うのか。将来のことはどう考えてやっているんだ。彼のご両親にはなんと申し開きをした。」
「交際は至って真剣であります。将来…はこのままユーリ陛下の右腕の大賢者として国を支えて頂ければと。猊下のご家族への挨拶はチキュウへ行けない為にまだ…。」
「あぁなんてこった。いつの間にかこんなことになっていると知ったらお前のお兄ちゃんがどれだけ悲しむ事か…。」
「いや僕一人っ子なんで、お兄ちゃんの問題は大丈夫です。」
「眼鏡のひ弱な弟がマッチョの外人に!やめろ弟!行くな弟!心の闇に気付いてあげられなかったお兄ちゃんを許してくれー!」
「お前は俺の兄貴で村田の兄貴じゃないだろが!村田の架空の兄貴と涙するな!」
「オレンジ色!大体お前はいくつなんだ!日本ではなぁ25歳の男が16歳の女子高生と付き合って性的行為をしただけで逮捕されたりもするんだぞ!そう!うちのゆーちゃんもこの眼鏡も青少年の16歳!ちなみに児童とは18歳までのことを言うんだ!よってお前はまだ児童だ村田健!」
「へーそうなんだー児童って小学生までかと思ってました。」
俺より先にプー閣下が青ざめていく。彼は青春真っ盛りの、82歳だ。
ここで俺が100歳を越えてますと言ったら打ち首にされるかもしれない。
親族ではないにせよチキュウの次期魔王陛下は猊下に対して
とても強い保護意識を持っていると認識した。
それとも別の理由だろうか。
ショーリ様は猊下の柔らかなほっぺたに触れ、そのまま引き伸ばしている。
猊下も猊下でされるがまま、自分のほっぺたが痛みを伴うほど
引き伸ばされていると言うのに楽しそうにしている。
猊下がご機嫌だったのはショーリ様が来ると分かったからに違いない。
他の男の来訪の喜びから俺の手を引いていたというのか
心の中で何かが萎んで、何かが膨らみ次の台詞でぷつんと切れた。
「目を覚ませ!せめて!せめて茶色のアッチにしろ!!」



「…すみませんチキュウの次期魔王陛下。猊下の頬が腫れ上がってしまいますので。」



切れた俺は恐ろしく冷静にゆっくりとショーリ様の手首を掴み
猊下から手を離していただけるよう力を入れた。
冷たくも炎のような黒曜の瞳がひたりと俺に照準を合わせ
不快さを隠そうともせず眉が寄せられる。
ただこちらもプツンと切れてしまっている為にその目の冷たさより
自分の温度の方がよっぽど低く感じた。
猊下を背に庇い睨み合っていると猊下がいつも通りの声で沈黙を破る。
「そうですよ友達のお兄さーん。いくら僕が眼鏡っ子で可愛いからって勝手に弟にしないで下さいよー。」
「お前を弟と思ったことはない!俺の弟は可愛い可愛いゆーちゃんだけだ!」
弟でないとするなら余計に悪い。
猊下は可愛い、お顔もそうだが仕草や声やちょっと生意気な所も可愛い。
先ほどから見ているとこのお方は誰かを護りたがる傾向にある。
そういった欲の乏しかった俺でさえ庇護欲にかられた猊下だ。
元々そういった好みの人間であれば猊下をお気に召すのが必然ではなかろうか。
「ヨザック御免。ほら勝利!村田とヨザックに謝れよ!」
俺の静かな怒りを感じ取ったのか陛下が間に入って下さった。
大好きな陛下に怒られたショーリ様は憮然とした顔でそっぽを向く。
「そうだな、弟のお友達が誰と付き合っていようが俺には関係なかったな。」
「いまさらぁー。すんごい干渉具合でしけど?」
「勝利ってそんなに村田が気に入ってたのか?」
「何を言うんだゆーちゃん。変なのと付き合っていてゆーちゃんにまで害が及んだらとお兄ちゃんは…。」
「俺の仲間を害虫扱いするな!んでもってゆーちゃん呼ぶな!」
「ゆーちゃんゆーちゃんゆーちゃん!!」
「うっさい馬鹿ショーリ馬鹿ショーリギャルゲーオタク!!」
「あーあぁ、本家兄弟喧嘩が始まっちゃったー。」

それにしても痛いなぁ。
抓られた頬を両手で包んだ猊下のほこほことした笑顔に
俺は眉間に皺を寄せて猊下の腕を掴みその場をあとにした。



2007.05.13

ページが重くなっちゃうので一度きります!