湿った床の端っこで村田は壁に背をつけて座っていた。
捲くっていた袖を下ろして綺麗になった家を見回す。
部屋も掃除しまくったし、洗濯も終わったし、
旦那が居ないうちに出来る家事はもう家に残っていない。
「昼…適当でいいか。」

村田はしばし放心してから、立ち上がった。



ちをえていく 

−知る



思えば、自分がこの国に来てからじっくりと街を回ったことがない気がする。
大賢者が街へ赴けば持て成される事は目に見えていたし
たかが探検したいという理由で大勢の兵を使って警備をして貰うのも申し訳ない。
ヨザックから帰国の連絡はない。
食べさせる相手が居ないと、食にあまりこだわりのない村田は
自然と簡単な物ばかりを食べるようになってしまう。
いけないとは思っているがこれはチャンスでもあった。
いつもは夕飯作りに費やしているかなりの時間が空く。
不完全とは言えようやく自由の身になった自分が街を散策するのは今だと思う。
街の地図と念の為の水筒を引っ下げた村田はとりあえず北から、とあてもなく家を出た。
大通りではない道を気まぐれに曲がったり入ったりしながら
北へ北へと歩を進める。
可愛らしい喫茶店や夜しかやっていないと思われる飲み屋を見つけ
今更だがヨザックが副業で経営している店の場所を知らないことに気付いた。
帰って来たら聞いておこう。
頭の中にメモ書きを残し、人一人がやっと入れる隙間にわざと侵入する。
村田は基本的に面倒なことや体力を使うことは嫌いだが
思いつきだけで行動するのは割と好きだ。
少々キツすぎる陽射しが建物で遮られ、ひんやりとした空気に村田は気をよくした。
よっこいせ、と年寄り臭い声を出して出た先は
先程まで歩いていた道とは雰囲気が違うようだった。
「…王都でもやっぱあるんだなぁ、格差って。」
あからさまなスラムと言うわけではないが建物の色合いや雰囲気
洗濯物などから富裕層でないことが見受けられる。
肉体派の労働者が多い地区だろうか。
長居していたら柄の悪そうな物に出くわしそうだ。
しかし、こういう格差を無くしたい親友を持つ身として、回ってみたい気もする。
お天道様の高いうちに肩をぶつけてくるのは日本に生息するチンピラという種族だけだ。
そう信じて、村田はその通りを進む事にした。
ツギハギだらけの服で遊ぶ子供の中に栄養失調者は見られない。
その点で僅かに息を吐いていたら、向こうの方で大通りからこの通りへ入ってくる子供が目に入った。
箱馬と荷袋を持った彼の足取りはフラフラとしておぼつかない。
大丈夫なのかな、と思っていたら案の定、彼は膝から崩れ落ちてしまった。
「大丈夫?どこか痛むのかい?」
「違…クラクラして…。」
慌てて駆け寄り背に手を沿える。
カラカラになった唇が小さく震えて苦しそうな息が吐き出されていた。
ふと、太陽を見上げ彼の頭に掌を乗せると髪は卵でも焼けそうなほどに熱くなっている。
脱水か熱中症かの判別までは出来ないがとりあえず地球への緊急用逃げ道として持ってきた水筒が役に立ちそうだ。
小学三年生ほどの彼なら非体力派の村田でも持ち上げられる。
影に彼を座らせ水を差し出す。
手に蓋を持たせ、唇に押し当てると子供は一気に水を飲み干した。
少しでも回復すればと二杯目を飲んでいる間に
村田は地図で彼を仰いでやる。
「…は…っ。」
「まだ飲む?」
「…もう大丈夫です…ありがとうございました。」
「暑い日はこまめに水飲まないとね。帽子も被ってた方がいいと思うな。」
頭はまだ熱い。顔に送っていた風を頭にも送る。
彼の服の汚れは靴墨のようだ。
大通りで靴磨きをして家計を支えている子供だろう。
遊んでいた子供より腕も細く栄養状態が良くない。
格差はあれど貧困に苦しむ者は居ない王都では珍しい子供だ。
「靴磨きはもうお終い?帰るとこだったら送ってあげるよ。」
「いえ、すぐ近くですから。ありがとう御座いました。」
言葉遣いも大人と話しなれている。
ただ彼の言葉をそうですか、と大人しく聞いて見送るほど
村田は大人ではない。
「子供の癖に変な遠慮するんじゃない。僕がそんな薄情者に見えるってのか。」
「え…あ。」
荷物を取ったら物取りかと不安にさせてしまいそうだったので
箱馬だけを奪って子供っぽい表情で拗ねてみせる。
子供は戸惑い、目を丸めたが頑固そうな相手を説得する元気がない為かじゃあ、とぎこちなく了承した。
日の傾きと影の方向を考えて村田が壁になるように並んでやると
子供はまた戸惑って目を泳がせ言葉を捜した。
貧しさを引いても会ったばかりの他人に優しくされることに
この国の人間は慣れていない。
いや、地球も同じか。
会ったばかりの人間に優しくされたら何か裏があるのかと考え込んでしまうことは間違っていない。
世知辛い世の中とはよく言ったもんだ。
人がよければよいほど世渡りは難しく、暮らしにくくなる。
人がいいだけの渋谷に世界を動かせるだろうか。

「あの……。」
考え事に意識を飛ばしていたらおずおずとした声が彼を引き戻した。
古い洋画のアパートを思わせる建物、ここに子供は住んでいるのだろう。
「ここに住んでるの?じゃあはい。」
「カエサル。」
わぁ、世界を変えられそうな名前。
後ろから呼びかけてきた声に村田はそんな感想を持ちながら振り返った。
細身で気の強そうな老婆が自分を睨みつけている。
「ただいま、おばあちゃん。」
「アンタなんだい。この子に何の用だ。」
「僕が暑さで参ってたら水をくれてここまで送ってくれたんだよ。」
「ふん…そうかい。」
子供の言葉に納得した様子はその単語だけで響きも目つきも
未だ村田を疑い、警戒していた。
言葉を尽くして弁解も出来るが、立ち去った方がこの子の為に良さそうだ。
「じゃあね。お家でもっかい水飲みなよ。」
「待って!」
「ん?」
「お礼…したいけど何も持ってなくて、だからせめて靴を磨かせて下さい。」
「そんなの気にしなくていいのに。」
「ダメです。お世話になったら何かお礼をしないと。」
貧しいながらも、それが彼の家の教育方針のようだ。
しかしコチラも見返りを求めていたわけではないし
具合の悪い子供に靴を磨かせられない。
それ以前に日本育ちの村田にとって膝をついて
靴を磨いて貰うというのは相手に悪い気がしてならないのだ。
「別にいいよ」と「磨かせてくれ」の応酬に目を吊り上げていた老婆が
いい加減にしろと割って入った。
「家へ上がんな。茶ぐらいは出せる。」
「でも、それじゃ俺がお礼した事にならないよ。」
「何を今更。」
二人は家族ではないようだ。
さっさと家の中に入っていく老婆の背と村田との間で視線を往復させ
子供は結局老婆に従う事にした。
村田としても靴を磨いて貰うよりお茶をご馳走になる方が気が楽だ。
「お邪魔しまーす…。」
「すいません。ちょっと失礼します。」
ててて、と部屋の奥に駆けて行った方向から、母さんと呼ぶ声が聞こえた。
もしや親が病で伏しているのだろうか。
手持ち無沙汰だったのでその方向をただ見つめていたら
椅子が引かれる音が大きく響いた。
「座んな。」
「どうも…ありがとう御座います。」
見るな、とでも言いたげな行動に村田は大人しく従った。
人の家の事情を他人が興味本位で知ろうとするのは良くない。
出された薄いお茶を啜って、これ美味いなと普通に思ったが
どこで買ったんですか?と聞いたら厭味に取られるかもしれないので
村田はぐっと我慢した。
あまり見るのはよそうと思ってはいるのだが、人の家はどうにも落ち着かなくて無駄にキョロキョロしていたらカエサルが母親と思わしき女性を連れて戻って来た。
顔は美しい部類に入る彼女は杖を突き、片脚を引き摺っている。
「息子を助けて頂いたそうで…ありがとう御座います。」
「いいえ、たまたま水筒持ってただけなので。」
椅子に腰掛けようとする彼女は何か危なっかしくて思わず手が出てしまった。
脚を痛めたのは最近のことのようだ。
聞かない方が逆に不自然かと、村田は思い切って脚のことを聞いてみた。
「怪我したの最近なんですか?」
その瞬間ギッと老婆に睨まれて、村田はビクリと肩を上げたが子供はさして気にする様子もなく経緯を話した。
「創主との戦いの時、倒れてきた城壁の下敷きになったんです。」
何の躊躇いもなく言うその様が逆に壁を感じさせた。
平気だと意識することで感覚を鈍らせようとしている。

今の自分と同じように。

そう、と当たり障りなく返してはいるがじくじくと心が痛み出している。
創主との戦いを長引かせてしまったのは自分だ。
眞王と大賢者と自分の甘さが産んだ被害者。
瞬時に、何かしてやりたいと思ったが赤の他人から無償の施しを受けるとは思えない。
魔族としての尊厳を傷付けることはしたくない。
被害者への補償だとか、そういったことも
ただの国民になってしまった状態では手が出せない。
責任の取り方を間違っただろうか。
身に余る権力で何かを動かすのはもう止めよう、と思ったのに
無くしてしまったらしまったで歯痒い。
親友に一言添えるだけしか出来ないが、例えそれで自分が惨めな気持ちになっても
放っておくよりマシだ。

「ありがとう御座いました。」
「うん、今度からは気をつけてね。お茶ご馳走さまでした。」
痛みを堪えて笑顔を作り手を振る。
話は聞いていたつもりだが、取り繕う事に必死で
自分がどうこの状況を切り抜けたのかよく思い出せない。
母親を支え、カエサルは先に家に入った。
健気な背中に痛みは増すばかりだった。
ふと、老婆が家に帰らずにじっと見つめていることに気付き
村田は瞬きをして彼女の行動を待った。
「アンタ、いいとこの魔族だろう。」
「…。」
どう答えるべきか村田は考えあぐねた。
普通レベルの生活は出来ている。
それに、ヨザックが軍人というだけで自営業や肉体労働者とは
差があるのかもしれない。
「…脚の補償って言うか…国からは何も?」
「貰ったさ。ただその金を巻き上げられてね。あの親子は字が読めない。騙し取られたからもう一度くれなんて言っても無理だろう。」
その通りだ。許せばそれを利用する輩が出て来るだけだろう。
「父親は?」
「父親も創主との戦いで死んだ。国へ帰ろうにも母親があの脚じゃ帰れやしない。」
「…なんで、そんな話を僕にするんですか。」
「そんな顔をしているからさ。」
心の中を見透かされている。
自分の薄っぺらさが突きつけられて心に圧し掛かる。



「同情であの子に近付くのはやめてくれ。アンタには、何も出来やしない。」



2008.03.18

オリキャラはあんまり出さない方がいいの分かってるんですけど
折角「捏造部屋」と銘打ったので、自分の殻を破ってみようと思います。

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