それは大好きの弊害
チビ村田はギュンターが好きだ。
勿論、大きくなったら結婚するーといった類の好きではない。
どうやら村田は4歳のこの頃“おじいちゃん”とあまり縁がなかったようだ。
「おじいちゃん。」
タラちゃんの足音が似合いそうなケンはにこにこ笑顔のコンラッドを放ってギュンターへと駆け出した。
足元に来ると迷わず抱きついてほんにゃり和んでいる。
既に鼻栓をつけているギュンターは血を垂らすことなく微笑みケンの頭を撫でた。
「コンラードと遊んでらっしゃったのですか?」
「うん。おじいちゃん、あげる。」
「これは…。」
「おやつ。」
ハンカチに包まれたクッキーをケンが差し出す。
ギュンターにおやつは必要ない。
大人だし、食べたいと言えば用意されるだろうし。
ツッコミ属性の有利は突っ込んでやりたい衝動に駆られるのだが
ケンが純粋な目でギュンターを嬉しそうに見上げているのでぐっと我慢した。
共働きだが祖父母達に頼らない村田家は夏休みその他諸々でも母親が親戚付き合いを面倒としたのか、あまり“おじいちゃん”と触れ合わないらしい。
むしろ村田家は祖父母等もハイカラで人付き合いが面倒なタイプなのだろう。
そんなこんなで、ケンは大きな休み明けの度にお友達から聞かされる“おじいちゃん家での出来事”に憧れを抱いていたのだ。
やたらと若くても血の繋がりがなくてもケンには関係ない。
憧れの“おじいちゃん”を前にせっせと思い出作りに励んでいる。
何の脈絡もなく差し出されたおやつを喜びのあまり震える手で受け取ったギュンターはぎゅう、とケンを抱き締めた。
「なんてお優しいのでしょう。ありがとう御座います。」
抱き締められたケンは頬を少し染めて口角を上げた。
「おじいちゃん、お散歩行こう。」
都合を尋ねずにケンが望みを口にするのはギュンター相手にだけである。
彼の中で"おじいちゃん"は無条件で甘えていい対象らしい。
この点だけは、ギュンターをおじいちゃんに据えて良かったと思う。
すっかりチビ村田の虜になったギュンターは目線だけで秘書を下がらせた。
ギュンターが抜けるとその分仕事は溜まるわけだが、チビ村田の精神安定の為には致し方ない。
「寒くなる前に帰って来いよー。」
「はーい。」
「行って参ります陛下ー。」
静かな湖畔の森の影からエンギワルーと鳥が鳴いている。
「お魚居る?」
湖畔の中へ向けて作られた桟橋の先でケンはしゃがみ込んだ。
見える所に魚は見えなかったが、湖のもっと真ん中の方で魚が跳ねた。
嬉しくなって振り返るとギュンターが穏やかに微笑んでいる。
伸ばせば望み通りに差し出される手。
やっぱりケンはギュンターおじいちゃんが大好きだと思う。
「おじいちゃん、おやつ食べていいよ。」
桟橋に腰掛けたケンは自分があげたおやつをギュンターが食べている所が見たかった。
白い服の裾が汚れるのも厭わず隣に腰を降ろした彼が
ハンカチに包まれていたクッキーを大切に手に取る。
「半分こにしましょう。」
「僕さっき食べたよ。」
「二人で食べた方が美味しいとお思いになりませんか?」
パキ、と半分に割られたクッキーを見てケンはくすぐったい気持ちになった。
はんぶんこ。とても優しくて気持ちのいい言葉だ。
確かに半分こにしておじいちゃんと食べた方が美味しそうな気がする。
はにかんでクッキーを受け取り小さく齧ると、先程より甘い気がした。
ギュンターおじいちゃんの魔法だ。
「おじいちゃん、お話して。」
「ええ。」
ギュンターおじいちゃんはおじいちゃんの割に物事はよく覚えている。
昨日の続きから始まった昔の出来事は、ケンの中にある思い出と同じ話だ。
ただ、自分を放って進む勝手な思い出よりおじいちゃんが
優しい声でゆっくり話してくれるお話の方が断然いい。
同じ話もおじいちゃんに話して貰うと柔らかくなるのだ。
冷たい思い出がおじいちゃんとの優しい思い出になる。
気持ちよくなってつい眠くなってしまうのだが、船を漕ぎ始めた自分を
暖かな腕が抱き上げてくれるあの心地良さもケンは大好きだった。
ごろん。
寝台の上でケンは寝返りを打った。
お昼過ぎの中途半端な時間からたっぷりお昼寝をしてしまったせいか
なかなか寝付けない。
眠れないと一度意識してしまうと余計に目が冴えてきて先程から何度寝返りを打ったか分からない。
身体を起こして窓の外を見ても中国のように夜景が広がってはいない。
見えるのは高い城の壁と小さな松明の灯りだけだ。
でも退屈で退屈で仕方ないのでケンはトイレに行く事にした。
重い扉を開け、立っていた兵士にその旨を伝えると彼は暗い廊下を一緒に歩いてくれる。
「いつ寝てるの?」
「朝方交代の者が来ますので。」
「眠くないの?」
「もう慣れてしまいました。」
夜の怖さを兵士に話しかけることで誤魔化しながらトイレに向かう途中
ケンは僅かに灯りが漏れている部屋を見つけた。
「誰か居る?」
「フォンクライスト卿が執務をなさっておいでなのです。」
「おじいちゃん?」
もう子供以外も寝る時間のハズだ。
お昼に自分と一緒に遊んでいたおじいちゃんがこんな夜中にお仕事だなんて。
ケンはビックリした。
おじいちゃんというのは基本的にお仕事をしないのだと思っていた。
仕事中の有利の側で何やらしていることもあるが
涙を流して楽しそうにしているので遊んでいるのだと思っていたのだ。
魔王の前で壊れきった王佐を見ていればその勘違いも責められない。
「おじいちゃんは寝ないの?」
「閣下は平素より眞魔国の繁栄の為に僅かな時間も割いて魔王陛下に尽くしておられます。」
難しい言葉ばかりで分かりにくいが寝る時間もお仕事をしていることだけは分かった。
もしかしてお昼におじいちゃんに遊んで貰ってはいけなかったのだろうか。
自分のせいでお仕事が出来なくて夜やらなければいけなくなったのだろうか。
不安になって灯りの漏れる部屋を振り返り走る。
急に走り出したケンに兵士は慌てて追いかけたが彼はその部屋の扉を開いてしまった。
小さなランプの灯りにおじいちゃんの眼鏡が光る。
古い本の匂いといつものおじいちゃんにはないお堅い空気が部屋に漂っていて
勢いで扉を開いたケンはその場で固まってしまった。
「おや…どうなさったのですか?もうおやすみになっているお時間でしょう?」
自分の姿に気付き小さく首を傾げたおじいちゃんの微笑みは昼と同じ物だった。
ほっと気持ちが緩むが緊張は解けない。
「申し訳ありません閣下。」
「構いませんよ。眠れないのですか?」
「お昼寝したから…。」
「そうですか。ギュンターがまたお話をして差し上げましょうか?」
「ううん。トイレ行ったら、僕ちゃんと寝る。」
眼鏡の縁に手をかけたギュンターに慌てて首を振ると彼はまた穏やかに微笑んだ。
おじいちゃんは優しいから、お仕事があるのに遊んでくれたんだ。
悪い事をしてしまったというショックでケンは
すぐその場でギュンターに謝ることが出来なかった。
必死で自分を取り繕いその部屋を出て、トイレに行き寝台に戻るだけで精一杯だった。
「おじいちゃんは、お昼はお仕事してるの?」
「ギュンターですか?えぇ、ユーリとお仕事をしていますよ。」
次の日、もしかしたら違うと言ってくれることを期待してコンラッドに尋ねた所
予想通りの答えが帰って来て、ケンは大いに落ち込んだ。
コンラッドもケンがギュンターにだけは無条件で甘えているのを知っている。
だがギュンターが仕事をしていないと思っていたことは知らなかった。
いい子のケンはお仕事がある人には遊んで欲しいとは言わない。と言うより言えない。
言わない様に母親から躾けられているからだ。
失言だった。しょんぼりと肩を落としてしまったケンにコンラッドは申し訳なく思った。
「遠慮しなくてもいいんですよ。ギュンターもケンと遊びたいんですから。」
「ダメ…おじいちゃん夜もお仕事になっちゃうよ。」
ぶっちゃけケンと昼に遊ばなくともギュンターは夜も仕事をしている。
それを言ったら今度は身体の心配をし始めるだろう。
いい子過ぎるケンをどうやって宥めるか考えなくてはならない。
我儘プーのヴォルフラムにはなかった手のかかり方だ。
「ケンが遊んでくれないとギュンターは淋しくなって泣いてしまいます。それと、ケンと遊ぶ時間はギュンターも休憩している時間ですから気に病むことはありません。ユーリとヴォルフもお仕事の間に遊んでいるでしょう?」
政を司る魔王としてどうかと思う状態だが、ユーリはちょこちょこ息を抜かせないと効率が落ちてミスを連発する。
その為、仕事の合間のキャッチボールやヴォルフとの追いかけっこが欠かせない。
コンラッドの言葉と魔王陛下の毎日を重ね合わせる。
良かった。もうお昼におじいちゃんと遊べないかもしれないと思っていたが
遊んでいい時間はあるらしい。
それでもまだ悪い事をしたという気持ちは捨てられない。
休憩中に遊んで貰ったらおじいちゃんは疲れてしまう。
「でもやっぱり謝る。」
「では肩でも叩いてやって下さい。お年寄りは目が悪いので肩が凝るんですよ。」
真面目で律儀で義理堅い日本人に苦笑してコンラッドが提案すると
ケンの頭の上に電球が出現してピカリンと点灯した。
「あ。」
「ん?」
「お兄ちゃん、紙とエンピツ貸して。」
コンコン。
「おじいちゃん…。」
恐る恐る執務室の扉から顔を覗かせたケンにギュンターは破顔した。
今日も小さな大賢者はとてつもなく可愛い。
魔王陛下でもヴォルフラムでもなく自分を呼ぶケンは後ろ手に何かを隠しているようだ。
また自分のおやつを分けてくれるのだろうか。
嬉しい顔になってしまうのを堪えて上目遣いで寄ってくるケンの頭を撫でて
ギュンターは聞いて欲しそうにしている物を尋ねた。
「後ろに何を隠していらっしゃるのですか?」
「あげる。」
細長い紙が何か文字が書いてあり、ある幅を保ってエンピツで線引きされ折られている。
有利がメモを取るときに見かける文字が含まれているので日本語なのは分かるが
それを解読することまでは出来ない。
察した魔王が席を立ち俺にも見せて、とギュンターの手からそれを受け取った。
小さい子独特の不安定な文字で書かれた言葉は
有利も思わずテンションが上がるものだった。
「うわー懐かしいなー。俺も小さい頃親父に作ったよ、肩たたき券。」
「かたたたた…なんだそれは言い難いぞ。何に使うんだ。」
「肩をたたいて欲しいときに線のとこで切って渡すと、肩をたたいて貰えるんだよなー。」
「年寄りは肩が凝りますからね。思いついてから今までケンが一生懸命作ったんですよ。」
「私の為に…。」
有利は見せて貰った肩たたき券をギュンターではなくケンに返した。
ケンの右手は小指の横から手首にかけて黒く汚れてしまっている。
一枚や二枚ではなく十枚以上作るのには大変な時間を要しただろう。
小さな手に握られたそれにケンの優しさがたくさん詰まっていた。
「おじいちゃん。お仕事あるのに遊んでくれてありがとう。」
ごめんなさいではなくありがとうと言った方がいい。
コンラッドのナイスアシストはギュンターの弱い涙腺を的確に突いた。
すみれ色の瞳はみるみる涙で溢れ美しい面を滝のように流れ落ちていく。
「おじいちゃん、どうしたの?」
「ありがとう御座います。大切に使わせて頂きます。」
「一杯使っていいよ。なくなったらまた作ってあげるね。」
暖かな抱擁をケンは素直に喜んだ。顔には大きく大好きと書いてある。
子供は誰が無償で自分を愛してくれているか感じ取る事が出来るのだ。
親とは違うが確かに注がれる無償の愛情。
子供の頃にギュンターに世話になった覚えのあるコンラッドとヴォルフラムは
いつの間に彼への尊敬を忘れてしまったのかと小さな頃の気持ちを思い出した。
舞うような剣の所作も、どこでどんな質問をしてもすぐに答えをくれる博識さも
誰もが振り返る美しさも、あの頃は全てに憧れた。
ときに親のように身を案じ、窘めてくれる愛情深さに何度救われたか分からない。
「…ユーリが来なければ俺はそれを忘れなかったハズなんですよね。」
「………やめろ、こっちを見るな。僕に同意を求めるな。」
「何だよそれ!俺だって好きで壊してるわけじぇねーよ!むしろそのギュンターに会いたいっつーの!!」
ケンが出て行ったあとも続く咽び泣きの声に、誰の仕事も進まなくなったが
誰もケンを咎められはしない。
ケンはおじいちゃんが大好きなだけなのだから。
2008.02.04
一度でいいからギュンターにいい思いをさせてあげたいという
吉田の勝手な王佐孝行でした。