兄弟愛は毒女も喰わない
コンラートは自分の兄そっくりに眉間に皺を寄せているアニシナに遭遇した。
彼女はテラスで誰かとお茶を飲んでいたようだ。
向かいの席に残されたカップは空で、アニシナのカップの中身は冷えている。
じっとりと向かいの席を見続ける彼女を思いがけず見つけてしまい、
コンラートは困った。
声をかけなければ何故無視をするのか、男は挨拶すらマトモに出来ないのかと言われるだろう。
が、声をかけてしまえばその眉間の皺の理由を延々と聞かされるハメになるだろう。
あからさまに置いてある地雷を踏まされるのはフォンヴォルテール卿の役目だ。
と言っても、遭遇してしまったモノは仕方ない。
コンラートは小さく溜息を吐いてから声をかけた。
「アニシナ。眉間に皺を寄せて考え事かい?新しい発明に煮詰まったのかな?」
「いいえ。私の頭は決して枯れない泉のようなものです。今考えていたのは他でもない、貴方のことですよ。」
「俺の…?」
水色の大きな瞳にひたりと照準を合わせられコンラートは瞬きをした。
魔力がない自分にアニシナが興味を示したことはない。
淑女に貴方のことを考えていた、と言われたらその続きは大抵決まっている。
いや、まさか、この人に限ってそんなことは起こるまい。
「魔力のない俺でも協力出来る実験が?」
「それについてはまだ構想中です。ですが私に協力したいというその心意気は良い物ですよ。」
予想は外れたが褒められた。
中途半端に脚をかけてしまってからの離脱は難しい。
「アニシナ、話を聞きたいから座らせて貰ってもいいかな。見下ろして話すのはね。」
「いいでしょう。私も貴方に言いたい事があります。」
向かいの椅子に腰かけると、アニシナは横から新しいカップを取りコンラートの紅茶を淹れた。
彼女は女性らしさ等という女性蔑視が最高に嫌いだが、嗜みを忘れたりはしない。
人として、という意識に置き換えているようだが紅茶を淹れる無駄のない優しい手つきはとても女性らしかった。
これだから、グウェンダルはなんだかんだと彼女を小さくて可愛い"女性"として見てしまうのだろう。
「ありがとう。あぁ、もしかしてさっきまではグウェンダルが居たのかな?」
言った途端、アニシナの眉間に皺が寄った。
瞳はギラギラとし、肉食獣が狩りを始めそうな眼差しだ。
どうやら自分の兄が彼女にまずいことをしたようだ。
それも"男は下等生物"で済まされない事柄らしい。
アニシナがそれを気にして悶々とするほどの愚かしい行動を兄がしたのだろうか。
顔は怖くても小さくて可愛いものが大好きな兄に限って、それは考え難い。
ちなみに二人は、密かにお互いを想いあっている。
「そうです。先程までそこにはグウェンダルが居ました。貴方と血を分けた兄であるグウェンダルが。」
「…グウェンダルを躾け直せとかそういうことなら母上に言ってくれないか。」
「違います。愛を持って躾直すなど持っての外です。私は逆に兄弟離れをしろと言いたいのです。」
「はぁ、それならヴォルフラムに言って貰えれば…」
ガシャン、と高そうな茶器が音を鳴らす。
失礼、と一言入ったがアニシナは相当昂っているようだ。
グウェンダルとの逢瀬の最中にヴォルフラムが割り込んだのだろうか。
逢瀬と思っているのは本人達だけなので鈍感でブラコンの弟への逆恨みは勘弁して欲しい。
「末っ子ではありません。貴方のことだと最初に言ったでしょう。」
「俺?俺とグウェンダルに兄弟離れを…?」
もうすっかりお兄ちゃん離れした…もとい、ベタベタしていた幼少期の記憶さえないコンラートは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
アニシナには自分とあの強面の兄がベタベタしているように見えるのだろうか。
兄弟仲が悪いとは言わないが、心外だ。
「むしろヴォルフラムの方がよっぽど上手くグウェンダルの鬱陶しい兄弟愛を操作していますよ。」
「ちょっと待ってくれ。俺はグウェンの後ろをついて回ったこともないし恋人がグウェンに嫉妬で睨みつけられたこともない。」
「それが問題なのです。ここに貴方の好きなメニューが二つあったとします。片方は食べ放題です。メニューの方からも寄ってきてくれる上にちょっと手をかけてやらなければなりません。あぁ可愛い。こいつは可愛い。よーし今日も食べるぞー。あー美味しかったー。一方もう片方ですが…こちらは何故か近寄りがたいのです。そして手もかからない。嫌われてないことは分かります。なのに一定以上の距離から縮まりません。食べたい。凄く食べたいのに食べられない。食べたいけど食べられない。あぁ気になる。今日も明日も気になる。さぁここで問題です。」
「後者が俺だ。」
「正解です。」
魔王ばりに長い台詞を吐き出したアニシナは冷めた紅茶を一気に煽った。
コンラートはすかさずおかわりを注ぐ。
何故に自分達はメニューに例えられたのだろうか。
もっとストレートに名前で言ってくれた方が絶対伝わりやすいと思う。
「つまりグウェンダルは俺と触れ合いたいのに触れ合えずそれが溜まっていると?」
「そうです。ヴォルフラムとは適度に触れ合い発散出来ていますが貴方は幼い頃から父親と放浪し、帰って来たと思えばすぐ士官学校へ、そして最前線の戦地に赴き、荒れ、気付けば小さくない大人で陛下バカでした。グウェンダルのすぐ下の弟を可愛がりたいという欲求は一度も解消されていません。」
「ヴォルフまでとは言わないが、俺にも愛されているという自覚はある。グウェンダルが行動を起こさないとその意識は芽生えなかったと思うのだが?」
小さい頃から父と旅をしていたが帰国したときグウェンダルに時間があれば
彼は必ず会いに来てくれた。
成人の祝いの品も良い物を贈って貰った。
自分もダンスの大会の結果を手紙で送ったりと兄への近況報告を疎かにはしなかった。
抱きついて甘えるというスキルが自分に備わっていなかっただけで
兄弟愛を疑われるなんてあんまりではないか。
「ふん、貴方は自分がグウェンダルに投げつけた暴言の数々をお忘れのようですね。男とはよいことばかり記憶してそれ以外は忘れるというご都合主義でいけません。」
「では思い出させて貰おう。俺がグウェンに何を言ったと言うんだ?」
「ユーリ陛下が始めて血盟城にいらしたときのことです。」
馬に乗るのも危なっかしくてオドオドと辺りを見回していた有利を思い出す。
真っ直ぐに育ってくれた彼の魂の輝きに久方ぶりに胸が温かくなった。
「ユーリ陛下そのものを思い出せと言ったのではありませんよ。貴方、あのとき初対面の陛下に何と言って兄弟を紹介したと思います?」
「教えて頂けると嬉しいね。」
「二人は貴方と血の繋がりがあると口にしたくもないだろう、と言ったのですよ。グウェンダルの目の前で。これが何を引き起こしたか貴方にお分かりですか?」
「夜を徹してあみぐるみを作り続けた?」
「それでは足りません。貴方が可愛かった頃の肖像画に見守られ思い出を一人呟きながら夜を徹してあみぐるみを作り続けたのです。」
「…。」
「グウェンダルは貴方が自分の可愛い弟であると声を大にして言いたいのに貴方はなんです。兄は自分が嫌いだろうと。そんな事を会ったばかりの赤の他人にさらりと。兄の純情を弟の貴方はどう考えているのですか。私は何という失態を犯してくれたのか、この犯罪者めと思いました。」
「大罪だな。」
「えぇ、大罪です。もっと幼い頃には尊敬する人は父とギュンターと答え、グウェンダルを一晩中剣の素振り及び書庫に篭り勉強の刑に処しました。父ときたら次は兄でしょう?何故ギュンターなのです!空気を読めば兄と答えられたでしょう!空気を読みすぎる腹の立つ子供だったのに何故あの瞬間だけ!幼い頃から貴方は犯罪者です。グウェンダルの愛を踏み躙る天才です。」
話している間にまた冷めてしまいそうになっている紅茶をアニシナは口の中を潤す為に含んだ。
コンラートは肩を落とし自分の幼少期の肖像画を見ながら溜息を吐く兄の姿を思った。
画集に手が伸びる前に想像を止めてしまわないと精神が汚染されると思う。
確かに今考えればあれは失言だった。
ヴォルフラムと違ってグウェンダルはあからさまに自分に負の感情を向けた事はない。
否定する事はないが賛同する事もなかった。
波風を立てない為の大人の対応だと考えてやっても良かっただろう。
だが、コンラートにも少し反論させて欲しい。
「俺も大人気なかったとは思う。しかし弟に悪し様に言われて拗ねない兄がどこに居る。上の兄はそれをただ黙認。嫌われていると言っても間違いではないだろう。」
「男とは口に出している言葉しか捕らえられないのですね。あのグウェンダルが弟を可愛くないと思うはずがありません。ヴォルフラムも貴方が赦すのを分かっていて反抗しているだけでしょう。」
「分かっていても傷付くんだよ。俺はそんなに強くないのでね。」
「その弱さを持ってグウェンダルの元へ赴き甘えれば良かったのです。」
「グウェンダルは忙しい。俺の私用の為に時間を割かせる訳にはいかない。十貴族に厭味を言われるのは純粋な魔族のグウェンダルも同じだ。」
「そんな厭味にグウェンダルの兄弟愛は負けません。多少…そうですね。せめて仕事中ではなく就寝時間が過ぎた頃こっそり来いと言うぐらいでしょう。」
「就寝時間が過ぎた頃に兄の部屋へ赴く大の大人をアニシナは男としてどう思う?」
「兄弟でいけない間柄か、夜を徹して飲み明かす仲良しかですね。貴方もグウェンダルも今のところ女の影が見えませんのでいけない禁断の愛と噂するのが一番面白く売れるでしょう。」
いけない間柄が面白く売れる以上、夜も更けた時間に兄の部屋を訪れるわけにはいかない。
用がないとき以外話さない兄弟の密会では余計に怪しいだろう。
「俺はグウェンダルを尊敬している。兄の名声に俺のせいで傷がつくのは忍びない。それをグウェンダルが切なく思ってもこれが俺なりの兄弟愛だ。譲るつもりはない。」
「貴方は惑う事なくあの男の弟ですね。兄弟愛の陰気な鬱陶しさだけはソックリです。」
「鬱陶しくても兄に似ていると言われれば嬉しいさ。」
肩を竦め、全てを愛で返すとアニシナはそれでも不満そうに眉をひくつかせた。
コンラートはすっかり冷め切った紅茶を啜って
笑顔を取り繕わずに水色の瞳と対峙する。
開き直ったコンラートにアニシナは声を張り上げるのではなく低く落とした。
「…貴方がしっかり分かりやすくグウェンダルを愛してやらないからアレは私にひたすら貴方の話をするようになるのです。」
まるで恋する乙女が涙を堪えて話すような呟きにコンラートは慌てた。
アニシナ嬢はどうやら凹んでいるらしい。
それも、兄が自分の話しかしないという理由で。
「…まさかさっきも?」
「昨日も一昨日も明日も明後日も、永遠に繰り返す絶望キネマです。」
「キネマってどこで覚えたんだ?その歌この前勝利が歌っていたな…いや、まさか、いくらグウェンダルでも、君を前に俺の話ばかりなんて。」
だってグウェンダルはアニシナが好きじゃないか。
とハッキリ言葉には出来ないが暗に伝わっただろう。
怒りからでも頬を紅潮させたアニシナは素直に可愛らしい。
毒女にこの表情をさせることが出来るグウェンダルをやはり尊敬する。
尊敬するが、惚れさせておいてそりゃないだろう、を兄は何十年と繰り返しているようだ。
「小さい頃からそうでした、会えばこの前弟が、と。弟が生まれた笑った泣いたご飯を食べた寝返りを打った自分の名前を呼んだ…旅立ってしまった士官学校に行った戦地に赴かせるのは忍びない…俺ではアイツを救えないのか、アレは一生心に傷を抱えて生きていくのか、兄であると言うのに自分が不甲斐ない…聞いてくれアニシナ、地球から帰って来てたコンラートはどこか険が取れたように思う、一人旅が良かったのだろうが?何か貴重な体験をしたのなら兄に報告して欲しいものだが…アイツを変えたのはどうやら今度の魔王陛下だったようだ、あんなに気にかけていたのにどうして自分ではダメだったのだろう…あぁ鬱陶しい!!あの男の頭の中の半分以上は貴方ですコンラート!いくら私が広い心を持っていてももう限界です!緊張した面持ちで手を握られ話したいことがあると言われてももう何ら胸は高鳴りません!どうしてくれるのですコンラート!私は決して女の人生の最高峰が結婚・出産などとは思っていません!しかしこれだけ待たされると結婚を成し遂げた女たちが大儀を成し遂げているように思えてならないのです!一体私にどうなれとおっしゃるのですか!?グウェンダルは私に何を求めているのです!!」
最後には立ち上がり一気に言い切った小さくて可愛くて可哀相なアニシナは
もうお茶を飲む気力もないようだった。
今日こそ頬を打ってくれるのだろうと期待して話を聞けば、弟のこと。
それを何十年も繰り返されたアニシナが、毒女のアニシナが、目を真っ赤にして
もう耐えられないと。
いっそ、アニシナから頬を打てば、と提案したいが提案した後が怖いのでよした方がいい。
「…すまない、アニシナ。これからは兄を大事に、するよ。」
「…そうして下さい。」
「なんだあの空気は…!何故二人は気まずそうに目を逸らしている!!」
兄弟愛の二次災害。
永遠に繰り返される絶望がアニシナに両手を広げて待っている。
2007.02.16
課題の失敗作です…orz
なんかもうここまでマチガッタ方向に走ってしまうとむしろ私凄い的な
感情が生まれてこざるを得ない。
失敗は成功の母と言うので、次回作を頑張ります。