笑顔


 「…おはよ。」

猊下の第一声。漆黒の瞳はまだ半分しか開いていない。
目覚めてから起き上がるまでに猊下はうだうだと布団と戯れ
突然しゃっきりと身体を起こす。
伸びをして躊躇なくベッドから脚を降ろし顔を洗って服を着る。
「相変わらず動き出すと早いですねぇ。」
「人生にはメリハリが大事なんだよ。」
袖に腕を通しながら猊下は軽く笑った。

「おはようございます猊下。」
「おっはよー。今日僕ヒマなんだけど雑用ない?」
自室で一人淋しく食べるより巫女に囲まれて華やいでいる朝食にしたい。
恋人の俺の前で素直すぎやしませんかと思う発言だったが
その意見を尊重して、朝は食堂で召し上がって頂くことになった。
声をかけてくる巫女達全員にテンションは高めで挨拶をする。
猊下は女性に会うとこの顔で笑う。
人懐こそうな顔というか、気さくそうな顔というか、話しかけやすそうな顔というか。
そんな笑みを振りまくもんだから、貴人の筈の猊下は眞王廟で
すっかり雑用係に定着した。

「あぁ猊下っ何故猊下が壁の修繕など!!」
「え?男手がないから。女性にさせるのは紳士的じゃないだろう?」
猊下会いたさにギュンギュン王佐がやってきた。
涙と鼻血と謎の汁を出す王佐用の笑顔はきまってやんわりと宥めるような顔。
苦笑いが混じることもしばしばだが、基本的に王佐殿の理想は崩さない。
穏やかかつ知性の溢れた控えめな微笑だ。
肖像画にそっくり、お見事です猊下。
そのせいで猊下は壁の修繕を中断され血盟城に拉致された。
多分、自業自得です。

「村田お前、なんつー帽子被ってんだよ。」
「フォンボルテール卿がどういうリアクション取るか見ようと思って。」
うさちゃん耳の帽子を作らせた理由はこれだったのか。
可愛らしい帽子を陛下に指摘された猊下は面白そうに目を細めた。
親分の部屋に入った猊下はチラチラと帽子に目をやり頬を染める親分に対し
真剣な仕事モードを貫き通し、最後の最後に
「これ、またして来るね。」
ぶりっ子笑顔でなく、あえて照れ隠しの笑みを残した。
流石だ猊下。押し引きを心得ていらっしゃる。
親分ならぶりっ子でも落とせるとは思いますけど、照れている可愛い子ちゃんってのは
なんかこうキューンとするんですよね。
廊下に出てから猊下に抱きついて頬擦りしたら猊下は
腕の中で色気なくケタケタと笑った。

猊下がおやつを血盟城で食べて行かれると言うとメイド頭は
張り切って特製のパイを焼いて下さった。
陛下と並んでお菓子をつつかれる様は本当に微笑ましい。
「いやー悪いね渋谷、気ぃ遣わせて。」
「遣ってねーよ。お前が勝手に俺の分も取ってんだろ。」
猊下はこの甘さ控えめのチェリーパイが気に入られたようで
1個目を平らげたあとに陛下の分まで自分の皿に勝手に乗せてしまわれた。
メイドがするより先に自ら手を伸ばすのを止めて頂きたい。
陛下も勝手におかわりするタイプですけどね。
あまりのお気に召し様にメイド頭は丸いのをもう一つ焼いてお土産にと包んで下さった。
「え、本当ですか?ありがとう御座います!」
メイド頭の息子さんと猊下は同じぐらいだそうだ。
同じ年頃、と言えないのが面倒だ。同じ背格好?
この美形を前にしては使えない言葉か。
とにかく猊下の嬉しそうな笑顔は息子にしたい笑顔一位を取れるかという顔だった。
歳より少し幼めの素直満載の笑顔に主婦層は弱い。

お土産を大事そうに抱えてご満悦だった猊下だが帰って早々
彼は眞王陛下に呼び出された。
途端に猊下の笑顔は色を変える。
漆黒の瞳は闇へと堕ちていくのに、輝きを増して意味が深くなる。
冷たいのに熱い、触れるとこちらが歪んでしまいそうなキレイ過ぎて怖い笑顔。
「行ってくるよ。それに合う紅茶用意しておいてね。」
眞王陛下に呑まれないように壁を作っているようにも思える笑顔で猊下は扉を閉ざした。
…それより、まだこのパイを貪り食う気なのか。よく飽きないなぁ。

アレがいいかな、コレがいいかなと紅茶の缶とにらめっこしてようやく一つに搾れた頃
猊下はお部屋に戻って来た。
「おやつー。」
「さっきあんだけ食ったってのに…ご飯の前ですから少しにして下さいよ。」
「僕は子供か。」
おやつって言いながら帰ってくりゃ子供でしょうよ。
上着をソファーの背にかけて猊下はそっと息を吐いた。
少し疲れていらっしゃるようなので紅茶の砂糖を多めにする。
一口飲んでから先程よりも深く息を吐いて、猊下が俺を手招いた。
横に座れと促され、座るとコテンと頭が倒れてくる。
凭れかかったまま皿を手にパイにフォークを突き立てるなんて、随分だらしのないことで。
ぐさっとやったあとにそれは何故か俺に差し出された。
「あーん。」
「あー…ん。」
それを素直に口に招き入れると猊下は何かほっとしたような状況に合わない笑みを浮かべた。

頭を撫でて脇腹をくすぐると猊下もじゃれてくる。
人肌って安心しますよねぇ。猊下を抱き締めて甘ったるい空気を満喫していたら
筋肉で死亡すると背中が叩かれた。
「俺の筋肉は猊下を護る為にあるんですよ。」
「窒息の危機を体験するとその台詞ではトキめけないなぁ。」
「体験する前はトキめいて下さってたんですか?」
「そりゃそうさ。僕はキミのあれにもこれにもキュンキュンしっぱなしだ。」
「猊下!」
「さぁ飛び込んでおいで!僕の胸に!」
猊下の嬉し恥ずかしは比率的に7:3らしくたまに俺大好きっぷりを
嬉しそうに俺本人に報告して嬉し恥ずかしなのに男前の笑顔でぎゅーっと抱き締めて下さる。
「グリ江、猊下のそういうとこにキュンキュンするぅ。」
「そうだろうそうだろう。」

猊下の胸でぬくぬくしながら、無理をしていらっしゃらないかな、落ち着かれたかな、と回した腕に力を込める。
疲れた笑顔も堪えるけれど、無理した笑顔はもっと堪えるんです。
そんなときに猊下が俺で気を晴らそうと擦り寄ってくると、心配な反面
俺の存在は猊下に無理をかけないんだという事実が嬉しくて仕方ないんです。
俺ってばダメな護衛でダメな恋人ですねぇ。
「チュ。」
「うぉ、ビックリした。いきなりするとは何事か。」
猊下が目を丸くしたあとはにかんだ。色気はないけど愛おしい笑み。
頬にもキスをして耳を食むとクスクスと秘密に笑う声がする。

「なんかキミ、やたら嬉しそうな顔してるよ?」

そう言う猊下のやたら嬉しそうな顔で俺はまた嬉しくなっちゃうんですよ。

次はどうやって笑って頂こう。
額をすり寄せた俺はその想像だけで口の端を上げた。

俺の毎日は猊下の笑顔で動いている。



2007.11.12

猊下は陛下より色んな表情を持っていると思います。
単純にも複雑にもなれる。ヨザは猊下の表情を見てるの好きだと思う。
仕草とかも陛下より種類が多そうですよね。
猊下に出来ない表情を陛下が持っているっていうのもありますけど。
ううん、猊下は奥が深い。