夢
日本のごく一般的な家庭で育った僕には目の前に広がっている光景が
夢の中の出来事のように映る。
大理石の大広間に赤い絨毯にご馳走。ドレスとタキシードと軍服の外人さん。
その中に一人、学ランの渋谷が混じっていても
どこか現実でない気がするのは仕方のない事だろう。
貴族と適当に挨拶を交わし、渋谷をからかったあとはすることがなくなってしまう。
グレタちゃんに1曲付き合って貰っただけでもういいやとダンスを放棄した僕を
フォンクライスト卿は大層残念がったけれど、その気のない僕に
思惑アリの令嬢が奮闘する姿なんて見たくないだろ。
なんだか無性にポテトサラダが食べたくて、皿に山盛りにした。
行儀悪くそれを突きながら誰も居ないテラスに出て、満月でない月を見上げる。
お酒も飲んでいないのに火照っていた頬を風が撫ぜて
入れていないつもりだった肩の力を抜く。
暑いのはマントのせいなのか。
外気に晒されて顔と手は段々と冷えていくのに肩は暖かいままだった。
こんな高価な物を羽織らせて貰うほどの働きはしていないんだけど。
でも僕は、それに見合う働きをしようと努力はしている。
努力もしないでこの扱いだと気も引けるけど、今の所僕は自分なりに
精一杯眞魔国に尽くしているつもりなので
無力さを悲観したり自虐に走ろうとは思わない。
頑張って頑張って、そしたらそのうちこのマントも自然と重くなくなるだろう。
気付いたらしっくりきてるに違いない。役職なんてそんなもんだ、多分。
月が飽きてきた僕は賑やかな会場を振り返る。
ポテトサラダ美味しいなぁ……次は鶏でも取ってこようかなぁ。
ポテトサラダに舌鼓を打ちながら頭の中では次のメニューのこと。
浮気性じゃないよ僕は。ポテトサラダはちゃんと食べ切るよ。
オレンジの髪って居そうで居ないんだなぁ。
灰色に茶色に金に白銀に緑…あの髪の全てに合うシャンプーってあるのかな。
ヨザックの髪は色素の割にごわごわ強くて癖が全然取れない。
毎日念入りにブラッシングしてるのにうねる広がるの我儘放題。
あれをキレイに纏めて結い上げる技術を尊敬するよ。
高く結い上げられた鮮やかなオレンジが頭の中で揺れると
自然と溜息が漏れる。
グリ江ちゃんが居ないと楽しめないとまでは言わないけど、やっぱり物足りない。
口の中のポテトサラダが急に虚しい味になった気がする。
さっき背を向けた外に早くも振り返りなおす。
「早く帰って来ないかなー…。」
噂をすれば、と言う言葉があるので僕は淋しいときは素直に口に出す事にしている。
それで淋しさが倍増して余計に凹むこともあるけれど
やってから後悔する方が好きだ。
勿論、渋谷達の前ではこっ恥ずかしくて言えたもんじゃないけどね。
「早く、早く、帰って、来い。」
脚をぶらぶらと揺らして、彼が発って行った山の方へと急かしてみる。
こういう短い言葉に妙なリズムをつけると渋谷は決まってウザいって言うけど
ヨザックに言わせればこれも可愛いんだぞ。
「ヨーザー…。」
呼ぶだけ呼んで、言葉のレパートリーが尽きたところで
今日の恋人のポテトサラダがまた美味しくなってくる。
そうなったら、今日もヨザックは帰って来ないんだな、って認める。
今度は「お仕事頑張れー」のリズムを刻んでヨザックとのあれこれを思い出しながら月とポテトサラダを楽しむ。
ちょっとの距離じゃ図太い僕はへこたれない。
皿が空になったので再びご飯を調達に戻る。
ポテトサラダと鶏で散々迷った挙句、きのこのグラタンばっかり盛ってきた。
うん、美味い。これを肴にヨザック妄想しよう。
意気揚々とテラスに戻って来た僕は見下ろした景色に身を乗り出した。
噂したら本当に帰って来たよ。凄いや昔の人って。
暗闇の中、オレンジの髪が馬を降りた。
門番に労いの言葉でもかけられているのだろう。
帰りたがる馬を宥めながらそのまま門で言葉を交わしている。
おかえり、僕のウサギさん。
きのこのグラタンを食べていたせいか脳に浮かんできた言葉が
森の童話めいていた。
よく見ようと細めていた目を開いて、広間に駆け戻る。
「フォンヴォルテール卿。」
彼と談笑していた知人らしき女性が僕を見てキャッと声をあげる。
あ、ゴメンなさい、身分の高い美少年がいきなりフレームインしてきて。
「なんだ。」
「仕事の報告って今夜じゃなきゃダメかな。」
他人が聞けば僕のことのように思えるだろうが
僕等の間に現在〆切つきの仕事はない。
窓の方を一度見やって、フォンヴォルテール卿が思案を巡らせる。
この夜会が終わってからでは夜が更け過ぎている。
それに彼は、既に何杯か酒を飲んでいた。
「いいだろう。ただし明日の朝使いものになるようにな。」
「失礼だなぁ、僕だって疲れてる人にそんなの望まないよー。」
「…すまない。」
「はは。じゃ、ヨザ寝かしつけてくるね。」
これあげる。と持っていたきのこグラタンを押し付ける。
もちろん食べかけなのは彼も分かっているだろう。
溜息を吐く彼の手からグラスを奪って口に含んだ。
口を揺すぐまではいかなくともチューの可能性があるならちょっと
飲み物で口の中をスッキリさせておこうというのは礼儀だよ礼儀。
「あんがと。今度こそ行って来ます。」
食べかけを渡して飲みかけを貰う僕に女性が何か勘違いをした風だったが
フォローは任せた。恋人の事実上保護者っぽい人。
外部の人間がこんなに城に入っていなければ僕は案外フリーで動けるのだけれど
今夜は流石に無理なようだ。それは僕も理解しているし抗うつもりもない。
だから後ろからこっそり尾けてきているウェラー卿にも何も言わず駆け出す。
階段を駆け下りて、庭に面した渡り廊下を走っているときに
見上げた月と星がさっきより輝いている気がして気持ちがハイになってくる。
月を追いかけているような感じ。
太陽ではなくて、君と僕だけの密やかな光。
馬宿でオレンジが見え隠れしている。
「ヨザ!おかえり!」
近付きすぎるとヨザックが先に気付いてしまうのでまだ遠い場所から声をかけた。
ビックリして振り返る顔に疲れが見て取れる。
それでも僕はハイになった気持ちを収めようとは思わなかった。
「只今帰りました猊下、えーと、抜けて来ちまったんですか?」
「うん。」
「隊長が…。」
「あ、ウェラー卿ーありがとー!」
ヨザックの所まで送り届けてくれたウェラー卿に手を振ると
顔は見えないけれど絶対笑ってる顔で一礼された。
その姿を見送ってから冷たい身体に腕を回してゆっくり抱き締めると
僅かに戸惑ったようにヨザックが身じろいでそれから優しく抱き締め返された。
顔を上げるとヨザックはなんだか困ったような顔をしている。
何を考えて困っているのか分かっていたので、ふっと微笑んで拘束を解く。
代わりに僕は手をとって引いた。
「猊下ー帰って来たばかりの俺をどこへ連れてくんでー?」
「僕の部屋。フォンヴォルテール卿が、報告は明日の朝でいいって。」
「いつ俺が帰って来たことに気付いたんですかぁ?」
「君が門番と話しているとき。上から見えたから君の今すぐの安眠を交渉して来た。」
君の身体が踏み止まろうと僕の手に力を込めたけれど許してあげなかった。
一度だけ振り返って笑う。
「安心しなよ。エッチしたいわけじゃないから。」
こういう単語は眞魔国にないものでも何故か伝わるから不思議だ。
男としては腑に落ちないコメントをされたと思うのだが、ヨザックは言い返して来ない。
大分疲れてるな。
それが分かっていて困らせるのか、とヨザックの意識はそこにも達しないようで
暗い城の中をぼーっとしたまま僕に引かれていく。
繋いだ手が中々温まらない。随分と長い間馬に乗ってたんだね。
部屋の扉を開けて、まずヨザックに聞いた。
「お風呂入って寝たい?それともこのままバタンキューしたい?」
「え…本当に俺はここで寝るだけなんすか?」
「そうだよ。」
思考回路が随分と鈍くなっているヨザックが考えている間に暖炉に火を入れる。
お風呂に入れても本人が疲れるだけか。
手を引っ張ってベッドの前まで連れて行くと彼は
再び本当にしないのか?という顔をして踏み止まった。
僕はそんなに欲求不満な顔してるの?
「本当に君は普通に寝るだけ。ちょっとしたオプションはつけてあげるけどね。」
「おぷしょん?」
横になったヨザの舌っ足らずの子供みたいな聞き返し方をされると頭を撫でてやりたくなる。
「ヨザ、頭ここ。」
ベッドが無駄に広いっていいね。膝枕とかで直角に交わっても
身体が落ちないんだもん。
「それじゃ猊下が眠れないです。毛布も俺が取っちゃって…」
「大丈夫だよ。暖炉に火も入れたし、このマントもやたらあったかいから平気。」
「でも…。」
「いいんだよ。」
髪を手で梳き、耳の方に流してやると、ヨザックが気持ち良さそうに目を閉じた。
小動物が首を撫でられているときの顔みたい。
「ウサギさん、あながち間違いじゃなかったね。」
「ウサギ…?」
「君のこと。僕のウサギさん。」
ゆっくりと一定のリズムを保って頭を撫でてやると相手がうとうとまどろみはじめる。
眠っていいよ。僕の存在が眠りの妨げになるなら出て行くけれど
宵闇の彼方で頑張ってきた君に出来る事があるならしてあげたいんだよ。
人の頭を慈しんで撫でてあげるとか、高校生の僕には全然経験がなくて
最初はぎこちなくなってしまったと思う。
だけど、想いでこんなになれるんだな。愛の力って凄いよヨザック。
「げーか…こっち、向いててもいいですか。」
「こっち?」
「こっち…。」
身体の方にヨザックが寝返りを打って僕の服の裾を大きな手が頼りなく掴んだ。
「…うん。」
僕の呟きは、眠る前に最後の力を振り絞った君には届かなかったかもしれない。
待ってたよ、僕のウサギさん。
お仕事大変だったね。
今夜は僕の膝で丸くなって眠るといいよ。
それと、帰って来てくれてありがとう。
夜会より僕を煌かせる君のただの寝顔は凄い。
身体が硬い僕は、膝枕してあげてる相手にキスは出来なかったけれど
朝起きたら一緒にポテトサラダを食べようという
無意味な思いつきだけで、幸せになれる。
窓を見やってもそこにパーティーの灯りは見えなかった。
でも、渋谷とフォンビーレフェルト卿と…色んな輝きを
この温もりを手に入れた今思い出すともっと煌くんだ。
全部が全部、キラキラしている。
僕はようやく、この夜を楽しいと思った。
2008.01.30
MEMOで描いたこの絵から広げてみました。
寝かしつけてる間も、猊下の心はフワフワしたナチュラルハイだといいな。
それがあからさまに態度に出ない。そんなナチュラルハイもあるはずだ。