夕暮れ


どうすればあんな風に違う色同士が自然と混じり合えるんだろう。

村田は唐突に、オレンジとピンクと空色が混じる夕焼け空を見て思った。
毎日空はそこにあって、全く同じとは言えないが夕焼けの空も
ほぼ同じような色合いに違いないのだが、今日は心に突っかかる。
窓を開けると爽やかな風。
テラスに出て手すりに手をかける。
先程までは、今日の執務のことや晩御飯のことを考えていたのに
夕焼け空を前に、村田は自分が世界から切り離された気がした。

空がキレイだ。
携帯があったら撮っていたかもしれない。
極楽鳥が帰っていく黒点が、日本のカラスを思わせた。
夕暮れの空を携帯で撮ってもキレイに映らないことを村田は知っている。
携帯の性能云々もあるが、風や音や心情は携帯の写真には宿らず
もう一度見る頃にはただの空に変わってしまうのだ。

村田は両手の親指と人差し指のファインダーを翳した。
心に残せたらいい。
前にこんな気持ちになったのはいつだったろう。
確か、何の変哲もない朝だった。
いつもより涼しい風が頬を撫でて、そのあとに踏み切りの前で
電車が通り過ぎるのを待っていた。
そのときだったと思う。

「猊下ー。」

下から声がかけられ、あの日の村田はすっと彼の心に戻っていった。
未だ世界から切り離されている心地の村田は
ヨザックを瞳に映すとにこ、と笑って手すりから身を乗り出す。
「ヨザック。」
「?そっち行ってもいいすか?」
その、自分が彼の名を呼ぶ一言だけで感じ取ったのだろうか。
ヨザックは不思議そうな顔をして壁を登り始めた。
村田は自分の心があの日、電車を待っていたときのように
静かに盛り上がっていくのを感じていた。
今日はきっと、いい日だ。
いい風が自分に吹く気がする。
もう日が暮れかけているが、村田は確かに“今日”だと思った。
「なんかいいことでもあったんすか?」
「何も。昨日と同じ。」
「そっすか。」
確たる違いは見えずとも、空気の違いだけは分かる。
明るくも暗くもない村田の声にヨザックは空を見やった。
声をかけるまで村田が見ていたからだ。
特別に美しいわけではなく。村田の言うように昨日と同じ空である。
極楽鳥の帰る姿を追っている横顔に不安な要素はない。
日が暮れるというこの時間に溶け込もうとしているようだった。
彼の耳は全ての音を拾い集めている。
ヨザックも100年以上生きていてそういった日がなかったわけではない。

何の変哲もないいつもの空に、切り離されたのか。

ヨザックは考えるのを止め、村田と同じく手すりに肘を置いて空を眺めた。
鳥が鳴き、虫の声も聞こえる。
「あー…この時期になると虫が煩いですねー。」
「煩い?」
「腹が立ちやせんか?」
ヨザックの言葉に村田がきょとんと目を丸めた。
世界から切り離されていた村田の足がストン、と地に着く。
ヨザックはその反応に何か間違っただろうか、と瞬きをする。
自分の反応に対するヨザックの反応に村田は何か思い当たったのか
見えない虫達を見下ろして言った。
「そっか。君達には不快なんだ。鈴虫とかひぐらしの声。」
「猊下は不快じゃないんで?」
「うん。僕と、この国ではあと渋谷が大丈夫。」
双黒二人に限定されたことで、趣向の問題ではないと分かる。
大人しく自分の言葉を待っているヨザックに村田は続けた。
「この虫の声が僕らの住んでる日本では風情があっていいってされてるんだよ。」
「へぇー。俺にはさっぱりぽんです。」
「日本人と一部の民族だけがそう思うって言われているから地球でも大半の人間は君と同じ意見だろうね。」
「ニホンジンってのは耳がいいとかですか?」
「いいや。音を判断する脳の部分が他の国とは違うとか言ってた。」
「…ますますさっぱりぽんですけど、猊下がそう言うとなんとなく風情があるように聴こえてきますよ。」
「はは、1分が限度じゃない?」
ぐーっと、手すりを掴んだまま空に向かって身体を反らすヨザックの
無茶な気遣いの台詞に村田は笑った。
その笑顔を見てヨザックは思った。
村田がまた世界から切り離された。
ただそう感じ取っただけで、元に戻そう、とかこの空気を壊さないでおこう、とは思わなかった。
ヨザックはヨザックで、いつもの間延びした声で言葉を紡ぐ。
「いいじゃないすか。嫌いだと思ってるものが短い間でも好きだと思えたら。」
言葉は切り離された世界に難なく溶け込んだ。
身体をすり抜けて心という大事な場所にスッと入ってくるような。
逆に、ひぐらしの声に一瞬心奪われるような気もした。
「うん。そうだね。短くてもいいことだ。」
「ほんとに短いっすけどね。」
「僕は好きなんだ。この虫の声。」
「俺ぁ猊下の方が好きっす。」

告白ではなかった。
村田が自分を嫌いだと言っていたわけでもない。
ただヨザックは話しやすい村田を割と気に入っていた。
虫の声についにがっくりと首を擡げた彼の言葉に
村田は再び笑った。
「虫と比べたら、僕もヨザックの方が好きだなぁ。」
「中入っていいっすか?やっぱりグリ江の繊細な神経にはこの虫の声耐えられないわん。」
「どうぞー。て言うか君、何しに来たんだっけ?」
「暇だったんで猊下に遊んで貰おうかと。」
「どっちが年上だ。」
無意味に家に訪れる友人というのが、優等生の村田には
今まで居なかったのかヨザックのその言葉は少し照れ臭い。
遠慮なくソファーに腰掛け、テーブルのお菓子に手を出している彼の後姿を追っている最中に村田は思い出した。
「そうだ、ヨザック。これは平気?」
「はーい?何がっすかー?」
「これ。」
ててて、っと部屋の中を走り学生鞄からある物を取り出し、鳴らす。

「いい音っす。」
「良かった。これ、夏に窓んとこに吊るして風で鳴るようにするんだ。」
「あーそれなら虫の声も和らぎますねー。」
「僕らには相乗効果なんだって。紛らわすのは暑さ。」
「暑いのはいいじゃないすか。」
「ううむ…噛み合わないな。君と僕は好き同士の筈なのに。」
「違うからいいんすよー。」
「それもそうか。」

風鈴の音が二人の間に響いて、日が暮れた。
さぁ、これからの今日をどう過ごそう。



2008.08.02

夏の私は気温にはぐったりですが、聴こえる音は大好きです。
気付いたら事実上付き合ってるみたいな未満の二人が書きたくて
挑戦を続けていますが今回も二人は私の期待を裏切りやがりました。
村田は渋谷の家で風鈴見ていいなぁと思って買った帰りに流されました(説明)