安心


無駄に広い寝台の上、猊下と俺は頬杖をついて新聞を読んでいる。
断りもせず捲った紙面を二人の真ん中で猊下が引き継ぎ
ぺろりと力なく着地させた。
次の記事は閣下が素性を隠して執筆している本の出版イベント記事だ。
相変わらず、全然隠れていない。
と、そこで何の脈略もなく猊下の頭が腕に擦り寄ってきた。
訂正、脈略がないと思っているのはきっと俺だけだ。
なんですかーと心の中で聞くと、意外と伝わる。
「これ持ってる?」
「眞魔国の乙女のステイタスですものー春・夏と持ってるわよー。」
「僕も、なんか面白そうだったから買ったんだ。」
俺に顔を向ける猊下は少し上目遣いに見えてとてもいい。
猊下が目を向けるときは確実に何かあるときだ。
今度は言葉に出して続きを促す。
「どうでした?」
「次の巻に僕も出るかな。」
ぽすっ猊下の脚がシーツの海を叩く。
頬杖を崩してお腹を完璧にくっつけた猊下は覆面の閣下の絵を見つめて
ぽすぽすとバタ足を繰り返す。
俺の質問は、タバコの煙の如くするすると空気に溶け込んで消えてしまった。
ただ猊下の言わんとしていることは分かった。
彼からの愛情と妄想の篭った想いを期待しているわけだ。
「よいしょ。」
「わ。」
「はー…。」
「メガネがずれるだろ。」
猊下の腹に腕を回して抱え込み、俺自身も転がりながら猊下をぐるんと持ち上げて
反対側に着地させる。
猊下の身体の上に半身だけ乗り上げて癖っ毛をかき回した。
手の動きに合わせて「うに、うに」とあがる謎の声が妙に可愛く
俺の独占欲も「うに」っという効果音で刺激された。
「閣下の愛なら常日頃から汁付きで身に染みてるでしょうが。」
「どんな言葉で表現されるのか気になるだろ。」
尤もらしいことを言ってはいるが、猊下は誰かに好きと言われるのが好きなのだ。
好き、というより愛情を傾けられるのが好きなのだ。
それも恋愛感情ではなく友情や親が子に向ける愛情や仲間意識というものが好きである。
チキュウでの話を聞いている分には坊ちゃん以外の友人も存在するし
家族仲が悪いというわけでもない。
……人間、隠し事のひとつやふたつ珍しくないと思いますけどね。
俺が言っても気になるもんはなるんでしょう。仕方ありません。
猊下の運命は壮大過ぎて想像もつきませんからね。
斜めに圧し掛かって抱き締める俺をそのままに猊下は再びシンニチに手を伸ばす。
と、そのままにではなかった。
猊下は徐に俺の腕を掴み自分の枕に変えた。
ぺたーっと猊下の頬が腕にくっついている。
そうされると俺の体重が自分で支え辛くなって猊下にかなりの負担がかかるのだが
猊下の脚はご機嫌とばかりにぽすぽすとシーツを叩いていた。
可愛らしかったので癖っ毛から頬を上げて魅入ってしまう。
脚を伸ばして俺と仲良しにと小突けば俺の脚を上から押さえつけようと
猊下の左脚が持ち上がり振り落とされる。
脚をきちんと見ている俺はそれを避けて逆に押さえつけた。
ぽすぽす、猊下の脚は適当に俺を探して抵抗を試みている。
これは見ないで応戦した方が楽しそうだ。



「渋谷って新聞とか読んでるのかな。」

ぽす

「閣下が持ってくるんじゃないすか?勉強にもなりますし?」

むぎ

「でも読んでないだろうな…あ、ココ行ったね。…ウェイトレス募集してる。」

ぺし

「時給いくらぁ?そこの制服可愛いかったのよねー。」

ふみ



「…うん。」
「猊下?」
「…あ゛ーっ眠いっ。」
張り付いていた頬が離れ猊下が肘を立てる。
可及的速やかに猊下の上から身を引くと彼は半身を起こし腕を上に伸ばし
大きなあくびをした。
こりゃ寝るな。
そうなるともう俺を構っては下さらないだろう。
四つん這いでメガネを安全地帯に置きに向かっている猊下を見届けてから
制服の可愛い店の求人広告に一応目を通し、分かりきった国内の情勢を撫で読みする。
シンニチにはいやらしい面が存在しないのが残念だ。
もっと俗っぽい新聞を買ってくるんだった。
きっと猊下の眠気も誘発されなかったろうに。
芸能面に移ったところでボスッという音が聞こえた。
猊下が枕に突っ伏した音だ。ベッドが大きすぎるが震動が僅かに伝わる。
だらりと投げ出された四肢は脱ぎ捨てられた上着より無防備だ。
これを読み終わったら裁縫でもして時間を潰そう。
報告書の提出にはまだ日があるが、ここでなら落ち着いて書く事が出来そうだ。
これならぷー閣下の方が数倍美しい、という役者の婚約の記事を読み終える。

ヨザックーおーいーでー

「…。」

猊下に心で呼ばれると、意外と聞こえてくる。
じーっと半開きの眠い目が俺を捕らえて呼んでいた。
「なーんでーすかー。」
「なんで二人で居るのに独り寝なんだよ。」
「俺ぁ眠くないっすから。これ読んだらやることやろーと思ってますし。」
「あとにしろー。」
亭主関白のように見せかけて、抗議活動的な響きでの命令。
ぐっと掲げられた拳が一瞬でぱたりとシーツに落ちていく。
以前は見せて貰えなかった姿、と思うとなんとなく有り難味が生まれるもんだ。
新聞を畳み遠く離れた猊下の元へ馳せ参じる。
実際にはのろーっと寄ってたんですけどね、心持だけでも馳せ参じるんですよ。
「はーい、お望みのグリエ・ヨザックですよー。」
「最初から来いってんだよ。」
「もうっ猊下ってば眠いと亭主関白になるんだから!」
引き寄せる腕に従って身体を横たえると包んで、とでも言うように猊下の身体が
腕の中に潜り込んで来る。
観念して腕を枕として首の下に差し出し抱き締めてやる。
ついでに脚で挟んでみる。
重い、と脚がそれを掃おうとしていたが途中でくたりと力が抜けた。
重苦しさより眠気が勝っているようだ。
「…おやすみなさーい。」
「…おー。」
「はぁ…なんで寝る前だけ男前なんでしょうねぇ…。」
「なにー…それ以外は違うってのか…。」
俺の腕の中でふわふわしといてまぁ。
眠る前の気持ち良さを味わっていたいのか眠りそうで眠らない猊下を
さっさと落としちまおうと額にキスをする。


ぐぐぴとまではいかないが、猊下のすぴーっといういかにもな
爆睡っぷりに俺は息を吐いた。



2007.10.04

ここで終わる。誰がなんと言おうとここで終わらせる。
きょとんとされても、これが吉田の思う安心のひと欠片です!///