部屋の隅


猊下は机に向かうのがお好きだ。

机の上に肘を乗せ、右手には羽根ペン、左手は書類を押さえたり
額に当てられたりと居場所が定まらない。
表情を変えずに資料をじっと凝視しては
思いついたという素振りも見せず再びペンを走らせる。
その繰り返しを、もう3時間。よく飽きないもんだ。

3時間ごときで音を上げる輩は政務どころか、一国民としての仕事もままならない。

これは猊下のすべき執務であり、それにあたって飽きるだの、つまらないだのという感情は元より存在しないのだ。
では何故、自分が猊下に対してそのように思ったかと言うと
それはもう彼と同い年の魔王陛下のせいに他ならない。

カタ

猊下が席を立つ音に顔を上げる。
部屋に敷かれた質のよい絨毯が彼の足音を吸い込んでいた。

「どちらへ?」
「トイレ。すぐ戻って来る。」

一人で颯爽と出て行く姿からは危機感が感じられない。
眞王廟に刺客は入らない。
眞王陛下と巫女達の結界、石の城壁、見た目に騙されてはいけない女性兵士…
それ以前に、眞王廟には狙うものがないのだ。
魂の相手に剣は通用しない。
唯一他国が恐れるものがあるとするなら、用を足しに出て行った双黒の大賢者だろう。
4000年間の積み上げたその知識と、魔王の魔力の増幅器。

尤も、彼を殺したところで違う誰かとして転生するまでの時間稼ぎにしかならないが…−

なんて残酷で儚い運命。少年の向けた背中はあんなにも温かく愛おしいのに。
自分でも聞き取れないほどの溜息は主の居ない部屋の静けさに呑まれた。

深い森の奥のようだ。

引き出しの少ない俺のこの部屋に対する感想。
落ち着き払った古い家具、窓から入る脆い光。
凛とした、と部屋に対して使うのは間違っているが、何か意志を持っているような空間だと思う。
猊下をずっと待っていたのか。
まだ少年の彼には不釣合いかと思われた机や道具はすんなりと彼の色に染まった。
年代物の羽根ペンを手にとる。
手に馴染みやすい木のそれの温もりは猊下のものかペン本来のものなのか。
紙の上に綴られた文字をなぞりそのままを口にする。
彼の字は陛下とは違い小奇麗にまとまっていた。

「何やってんの?」
「どんなことを書かれたのかなぁと思いまして。」
「僕は斬新な案は出さないよ。地味で堅実なものが一番強固だって知ってるからね。」

高いような低いような、少年のような大人のような。
曖昧な猊下の声は雨水が染み入るようにジワジワと心に降りてくる。
猊下がこの机に歩み寄り、椅子に手をかけ、腰を降ろすまでの
一瞬一瞬がイチイチ絵画のように止まって見えた。

ここは確かに貴方の魂の還る場所。

「…どうかした?」

キスをしたのは、猊下がこの部屋に融けて届かなくなってしまいそうな気がしたからだ。

2007.08.08

図書館で書きました、雰囲気に飲まれるヨザ。
村田は至って普通の口調と考えていただきたいです。
意味不明系ってさ、書いてる方は意外と楽しいですよね(ダメ管理人)