小さな背中を見る
「おっと、そのお酒は僕が貰うよ。」
すっと、横から伸びた手に奪われたのは魔王陛下にと
貴族が差し出したグラスであった。
いやらしい思惑を胸にどうにか陛下に取り入ろうとしている人物ならば
ムッと眉間に皺を寄せ、その相手を睨みつけるところだろう。
が、しかしその相手が双黒の大賢者となると話は別である。
噂では魔王陛下よりも政治に関わっている大賢者。
知性を蓄えた闇色の瞳が煌き、微笑で細められる。
あまりに美しいその姿に何の文句が言えると言うのか、と渋谷有利は思った。
それを見つめる魔王陛下もまた、人の目を掴んで離さぬ美貌の持ち主だが
彼には未だに自覚症状がない。
深紅のマントに栄える双黒に王佐がどれだけ鼻血を垂らそうが知ったこっちゃなかった。
しっかりと大賢者に賛辞を述べてから去って行く貴族を見下ろして
有利はようやく言葉を発する。
「村田って酒飲めるんだ?つか二十歳までは飲んじゃダメだろ。」
空になったグラスを王佐に手渡す村田はその身に刻まれた歴史を象徴するような
落ち着いた色のマントを身につけていた。
「だって渋谷は飲まないんだろ?国のトップがどちらも飲まないんじゃ格好つかないし、ナメられてあとで面倒なことになったら困るし。」
「う…ゴメン、俺はナメられても禁酒禁煙の誓いを捨てられません。」
「だからいいよ、今みたいに勧められたら僕が飲むから。フォンビーレフェルト卿も手伝ってくれるんだろ?」
正装である青の軍服を着たフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは
魔王の玉座の斜め後ろで当然だ、と言い切った。
いつもならその位置に居るのはウェラー卿コンラートであるが、このような式典では
魔族と人間のハーフである彼に好意的でない貴族が多く集まるのだ。
当人は気にしなくともお優しい魔王陛下は別だ。
その場で貴族相手に喧嘩なんて醜態を晒されては困る。
苦々しく思いながらも表情を変えずにそう言った長兄の言葉に
では婚約者の僕が、と三男が名乗りを上げそれが採用され今に至る。
式典だからだろうか、魔王陛下の座る玉座の真後ろの壁には眞王の肖像画が飾られていた。
ヴォルフラムに似ている…と気付いた瞬間に有利は今回の護衛の人選が
すんなりフォンビーレフェルト卿に決まった原因の一つが分かった。
と、肖像画を振り返っていた顔を元に戻すといつの間にか村田は
貴族から受け取った二杯目の酒を飲んでいる。
まだ二杯目、とは言え先程の魔王陛下の言葉で大賢者も日常的に酒を飲んではいないのだと察した過保護王佐が眉を下げた。
「猊下、あまりご無理をなさいませぬよう…。」
「あぁ分かってるよ。悪いね、僕も徐々に慣らすからさ。」
にこ、と微笑むだけで何人の女性が溜息を吐き何人の男性が邪まな考えを抱くのか。
鼻血を出しながらこの愛しい双黒を狙う不届き者を探す王佐が、
今のところこの会場内で一番不届きな者に見える。
営業用に作られた完璧な笑みにフォンビーレフェルト卿は「フン。」とだけ声を出し
またしても魔王に差し出されたグラスを村田より先にひったくって煽った。
「村田…お前大丈夫か?」
何杯目になったのか。隣に座る友人の口数が明らかに減った。
顔色はさほど悪くないが覗き込まれた村田が素直に苦笑いをしたので
有利は国王としての責任を全て押し付けた罪悪感に苛まれ
目立つことも構わず信頼している者の名を壇上から呼んだ。
「コンラッド!」
「渋谷?」
「お前ちょっと休んで来い。」
「…いいって言っても聞いてくれなそうな感じ?」
「感じ。」
「はぁ…まぁ酒に関しては僕よりフォンビーレフェルト卿の方が飲む方も断り方も慣れてるよね。」
「陛下、猊下には私が…。」
「待って、フォンクライスト卿はここに居た方がいいと思う。」
「ユーリには僕が居ればいいだろう。」
「うん、君のことは信頼してるけど王佐まで一緒に席を外したら誰かが僕の気分を害したとか大袈裟にとられそうだろ?」
「お前は少し神経質過ぎる。」
「念には念をってね。」
肩を竦めた村田が魔王陛下に従ったのはここで大丈夫だと意地を張るより
少し席を外し回復して戻って来た方がよいと思ったからだ。
白の軍服が似合いすぎてどうしようもないウェラー卿が
紅いカーペットのひかれた階段を上がってくるのを
映画のワンシーンを見る気分で楽しむ余裕はまだ残っている。
今なら風に当たれば酔いは醒めるだろう。
「どうされましたか、ユーリ。」
「村田ちょっと酔ってるんだ。」
「少しだけ付き合ってくれるかな?」
「仰せのままに。」
頭を垂れて差し出された手に
迷う事無く自分の手を重ね村田は立ち上がった。
寄ってくる貴族や女性をウェラー卿がやんわりと断り村田の背に手を添え扉までエスコートしている。
あまりに完璧な誘導に王佐は遠くから胸を撫で下ろし
魔王と目を合わせ何故か頷きあった。
会場から出ると、途端に村田は脳みそが回るような感覚に襲われた。
廊下に出たぐらいで気が緩むとは、問題だな。
眼鏡を外し眉間を押さえた村田の背を添えられていた手が
宥めるように優しく撫ぜる。
「冷たい水でもお持ちしましょうか?」
「トイレで吐いてから貰う。」
「猊下。」
「ゴメン、僕もこの瞬間まで自覚症状なかった。」
「気合で?猊下はそのタイプではないと思っていたのですが。」
「ああいう場で気を張るのは当然だろう?渋谷が無防備過ぎるんだから。」
「その為のギュンターとヴォルフラムなのですが。」
「一応だけど大賢者なんで。あ、トイレの中まで来ないでね。」
「大丈夫ですか?」
「ん、ゴメンね。」
「無理にでも付き添った方がよいのでしょうが…。」
「融通の利くのが君のいいとこだろう。」
青白い顔で笑ってトイレに入った村田は数分後、より白い顔で戻って来た。
ウェラー卿が何か言う前に彼が手にしていたコップを受け取り一気に飲み干した。
スッと喉を冷たい水が抜けていく。
何度か深呼吸をすると、村田は高い天井を見上げ暗闇に投げかけた。
「ヨザック。」
深紅のドレスが音もなく暗闇から舞い降りる。
高く結い上げた髪はカールされて逞しい首筋と戯れていた。
完璧なメイクと上腕二頭筋の素晴らしいこと。
アイシャドウに縁取られた青い瞳が鋭い恋人を見て悪戯に細められる。
「気付いてらしたんですか?」
「気付くようにしてたんだろう?厄介な感情のせいで君の気配には敏感なんだ。」
「でも8割ぐらいは消してましたよ?」
「ウェラー卿が僕を置いて水を取りに?ありえないだろ?」
厄介な感情は抱いていないがウェラー卿コンラートは
眞魔国一と王佐に認められている武人だ。
当然、ヨザックの存在には気付いていた。
爽やかな笑顔がそれを肯定しアメリカ帰りらしく降参、と両手を挙げる。
「完敗ですね。猊下は軍人でもやっていけそうだ。」
「ご冗談を隊長。」
「ヨザック。その続きは言わなくていいよ、僕がもやしっ子だって言いたいんだろ。」
「猊下?」
言葉とは裏腹に僅かに微笑み、ヨザックの横を通り過ぎた村田に
コンラッドとヨザックは疑問符を語尾につけて問いかけた。
「今夜はもうおやすみになるのではないのですか?」
「ソッチはドキ☆貴族だらけのパーティー会場!ですよ?」
「誰が休むなんて言ったのさ。」
「では何故ヨザックを?」
「酔いを醒ます為。」
「やだ猊下、グリ江を呼んだらもっと酔っちゃうだけじゃなぁい。」
このグリ江の魅力に♪
シナを作ってウィンクをするミス上腕二頭筋(命名・渋谷有利)に
ウェラー卿は完璧な営業スマイルを浮かべた。
間違ってもその顔のまま言葉の暴力を振るえる点が眞魔国一の武人と謳われる所以ではない。
見事ではあるが、あくまでも、剣士として腕の立つ人物だということを忘れないで欲しい。
「このおぞましさで酔いを醒まそうとは諸刃の剣ですね。吐き気を併発しませんか?」
「レディーに対しておぞましいなんて最低よ!」
慣れているとは言えあまりに辛辣な女装批判にヨザックは
ヒステリックな女性を模してキーッと怒りハンカチを噛んで見せる。
振り返ったままそのやりとりを聞いていた村田は
しっかりとした足取りでヨザックの元に歩み寄ると噛むのをやめさせ
高い窓から差し込む月明りを受けながら、ウェラー卿を見上げ微笑んだ。
振り返った間にメイクでもなさったんですか?
そう尋ねたいほどに、頼りなく色を失っていた顔はいつも通り
余裕の大賢者様に戻っている。
「勘違いしないでよウェラー卿。僕はおぞましさで酔いを醒まそうなんで思っちゃいない。」
「ではどのように?この上腕二頭筋に扇でも持たせて扇がせましょうか?」
「言っただろう?コレには厄介な感情を抱いている。」
「君にはおぞましくても、僕には目の醒める美しさなんだよね。」
目の醒める美しさとは、月明りを浴びて妖艶に微笑んでいる貴方のことを言うのだ。
酒のせいなのか、本気なのか。その表情にゾクッと背筋を何かが駆け上がる。
いかつくも整えられた爪に一瞬だけの口付けを落とし
魔王陛下と揃いで仕立てられたマントを翻した大賢者の小さな背は
確かにこの国を背負って立っているのだと、臣下は顔を見合わせ
遅れを取らぬよう後に続いた。
2007.01.28
マントは大研究2の表紙を…!あの陛下&猊下が素敵で大好きなのです。
廊下で月明り浴びた猊下の背中が見たい。それだけの為に無理に作った作品でした。