前頭葉


 この感情、如何に。

「ただいま戻りましたー。」
間延びしているような喋り方を最初は本質を隠す為のフェイクかと思ったけれど
使いすぎたフェイクはもはや彼のクセになっていてさして意識していないようだった。
僕は投げかけられた言葉におかえりと返しながら次の言葉を一瞬迷って
やっぱり口にする。
「キミ任務から戻ったばかりなんだろ?部屋から出ない僕の護衛なんて他の人に任せておいて少し休んだら?」
彼は疲れているようには絶対見せないが任務帰り=疲れている、の方程式なら渋谷だって簡単に解ける。
迷ったのは僕の個人的な感情。
「お仕事時間と内容の云々は親分との契約なんで猊下はお気になさらず。任務と言っても近い国の現状調査だけでしたので。」
「そう…?つってもやっぱり今の僕の護衛ってやることないからとりあえず座ってて構わないよ。」
「あ、そうですかー?どうもー。」
最初の否定と次の肯定。この押し引き方が渋谷が彼を気に入る理由である。
僕も畏まってばかりの護衛より気が楽でいい。
ただ最初の部分も肯定されたら今の気分は楽の前の哀で止まってしまったハズだ。
これが一瞬の個人的迷いの理由。ヨザックと居ると気が楽。
羽根のついた付けペンを走らせるスピードが上がった。
気が楽なのに急いで仕事を終わらせようとするこの行動、如何に。
「ねぇ、あの国王の不倫問題ってそんなに深刻だったの?」
「あーそうっすねー…まぁ手を出した先の相手がまた違う国の経済を大きく左右する企業の奥方でしてー…。」
「わぁ。国家レベルの泥沼ってヤツだ。その奥さん美人?」
「俺の方が美人なんじゃないですかねー。」
「それはハードルが高すぎるんだよ。グリ江ちゃんに敵う美女なんてそう居ないからね。」
「あらぁ?猊下もグリ江の虜なのぉ?アタシったら罪な女。」
「そうだよ。キミが国に居ない間、僕がどれほど淋しかったか。」
「まぁお上手ね。さっきは下がっていいって言ったクセに。」
「それはほら、紳士だと思われたいからさ。」
言いながら、少し違和感を覚えている自分が居る。
冗談として口にした言葉が音になった途端に暖かく胸に響いた。
それも淋しかった、の部分、これ如何に。
自分自身にうん?と首を傾げるとグリ江ちゃんが同じように疑問系の声を出して小首を傾げたのが見えた。
「どうなさいましたー?書庫からなんか資料取って来ましょうか?」
「いや…違うんだ。…ちょっと休憩しようかなーグリ江ちゃんが居ると胸が高まって仕事になんないから。」
胸に迫る何かを誤魔化すようにペンを置いて伸びをする。
集中しているときは気にならない肩の凝りが
一度気が緩むと思い出した様にこれでもかと主張してくる。
「俺の存在って気になります?それなら存在薄そうなの連れて来て下がりますけど。」
予想外の言葉に僕はきょとんと間を空けてしまってから慌てた。
言葉とは裏腹にヨザックは腰を上げる気配はないが、自分の言葉を受け取るのが
部下の立場にある人間なことを忘れての失言だ。
有能な護衛なら裏を考えてしまうだろう。
有能も有能、眞魔国一のお庭番の前でなんたることか大賢者。
今の言い方ではヨザックのせいで集中力が途切れてしまったように取れてしまうではないか。
「ゴメン。そういうつもりじゃなかったんだ。変な言い方してゴメン。行かないで。」
自分の失態に焦って言葉が箇条書きみたく落ちていく。
部下である彼を引きとめようと必死になっている自分の滑稽さを感じたが
僕の焦燥感は納まらない。
「いいえー。猊下ぁ、猊下は俺なんかにそんな風に謝って下さらなくていいんですよ?猊下がやりやすいように命令して下さって構わないんですから。」

あぁ、そうだよね。
キミは部下で僕は双黒の大賢者なんだから。

「そうだよねぇ。」
「はい?」
「…うん、なんでもない。いやあるのかな、僕はちょっとキミに甘えてるのかも。なんかこう調子狂うんだよねー。」
「あれ?俺やっぱ邪魔ってことですか?」
グリ江傷付いちゃう、とシナを作ってみせられても先程のような焦燥感は湧いてこない。
彼が本気でないことが分かっているからだろう。
ヨザックの方も今の発言は違うと分かってくれている。
その事実に背を押されるように僕は断りもなしにヨザックの座る同じソファーにどっかり腰をかけた。
彼は少し驚いたようだがやはり僕の望みを分かっていてそのままでいる。
「違う。紳士でいられないってだけ。気遣ってあげられないと言うか…キミの前だと素が出てしまうって感じかな。」
「はぁ。」
「…そうだよ、ほぼ素なんだよな。」
「素の猊下は一人で会話をするのがお好きなんで?」
「自問自答をしながら探してるんだ。この不可解な感情の答えをさ。」
「俺に対するですかぁ?俺が図々しいから猊下も俺に図々しくなるんじゃないですか?」
「今の僕って図々しい?」
「さぁ…図々しいというより…………不可解ですかね。」
「ほら、不可解だろう?」
「はい、不可解でした。」
ヨザックと居ると狂う僕のリズムにヨザック本人を巻き込んだら
何か掴めるのではないかと思い自分の引っかかる感情を口にしながら
確かなものを手繰り寄せていく。
巻き込まれたヨザックは案の定ハテナマークを浮かべていた。
浮かべているけど、やはりあまり表情は変わらない。とぼけたような顔を崩さない。
まだ部下のままということだろう。
部下との壁は仕事の後に飲みに行ったりすることで少しずつ取っ払われるものだ。
サラリーマン的な発想だけど。
「ヨザック、僕はキミの煎れたお茶が飲みたい。」
何かが違う。ただ言葉を間違えたとは思わなかった。
ただお茶が飲みたいではなく、キミの煎れたお茶が飲みたいとは、これ如何に。
「はーいお茶ですねー。」
「キミの煎れたお茶だからね、他のメイドさんに頼んじゃダメだよ。」
念まで押している、これ如何に。
「もしかして俺って猊下のお気に入りですかー?」
「うん、そこは不可解でなく確実にそう。」
「グリ江、手料理作ってって彼氏にせがまれてるみたーい。」
「…うん?」

「…それは………案外当たり…かもしれない?ヨザック、キミは今お付き合いしてる人は居るのかな?」
「ぇえ?」

案外も何も、最初から気付いていたクセに。
大賢者ではない村田健は臆病者ゆえこの恋に一人で気付くのがイヤだったわけで。
墓穴を掘った形で僕に突然アプローチをかけられたキミの
見た事ないような驚きの表情が妙に嬉しくて、僕は前頭葉で考えることを捨てた。

2007.03.29

頭で考えて、やっぱりなぁと思っていても実際、口するとリアルになる。