実弾


坊ちゃんに解放されたのは夜だった。
親友を泣かせた罪、という分かりやすい罪に下された罰は「猊下禁止」。
男の気持ちは分かるがせめて了承を得るべきだとか
半分以上年下の坊ちゃんにこういう内容で説教されるとは、情けない。
いくら歳を食っていてもあんな風に泣かせたのを見れば
怒られても仕方ないとは思いますよ。

とん、と降り立った場所は猊下の部屋のテラス。
解放されたのはまだ夜も早い時間だったが、どんな顔をして会えばいいのか
ウジウジしている間に深夜も深夜、真夜中になってしまった。
灯りのない部屋。
猊下はもうお休みになってしまったらしい。
音を立てずに窓の鍵を開けて部屋に滑り込む。
月明りが斜めに差し込んで影を伸ばしている。
「…猊下ー。」
その頬に涙の痕がなくてほっとした。あんな顔はもう二度と見たくない。
追い詰められた小動物のようになす術もなく震え怯えていた顔も
俺を気遣って無理に笑おうとしていた顔も、耐え切れずに、涙を零したときの顔も。
もう二度と見たくない。
「乱暴して、すいませんでした。」
掛け布団から少しだけ出ていた指をそっと握り傍らに膝をつく。
「焦ってたわけじゃないんですよーでもなんでしょう、猊下はたまぁに無防備ですよねぇ。」
大賢者様の鎧は鋼のようで、笑顔のベールが何枚も重なっていて
でも俺は時折見える16歳の貴方に恋をしたんです。
守ってあげたいとかじゃなくてですよ。もちろんそれもありますけどね
大賢者でない16歳の貴方も芯が強い立派な男ですから
守ってあげたいは失礼だと思うわけです。
ただ、屈託なく笑う顔を俺だけ見れたらいいなぁって思ったんです。
ようやくその笑顔を手に入れてコロッて甘えられたら、理性がプッツンしました。
あんまり可愛くて、もっと欲しくなっちゃったんですねー。
可愛すぎるんですよね猊下は、どうしてくれようって感じです。
「って、猊下のせいじゃないですよね。」
「…ううん、僕も悪かったと思うよ。」
「え?」
いつの間にか目を瞑っていた俺は猊下の眠そうな声に顔を上げた。
寝起きなのにしっかりとした力で握り返された手。
目の前の人が起きた事にも気付かないなんてお庭番としても失格ですか。
「おかえりヨザック。渋谷はどうだった?」
「はぁ…ずっと説教されてました。」
「そう。」
ころり、と猊下が俺の方へ寝返りをうつ。眠いのか起き上がる気はないらしい。
起き上がられたらそれはそれで申し訳なくて困るけど。
「すいません、起こしちまって。」
「ずっと来てくれないから呆れられたのかと思ったよ。」
メガネがないせいで安定しない視界に猊下は何度も目を擦り
最後には諦めて少し目を細めた。
握られた手が、猊下の頬へと導かれる。安心したような溜息が温かい。
「呆れるって俺がですか?猊下でなくて?」
「あんなことで泣くなんてさ…面倒な子供だと思われたかなーって。」
「そんな…。」
「うん分かってる。ヨザはそんなこと思わない。でもさー渋谷ももう寝た筈なのにいつまで経っても来ないからちょっと不安になっちゃって。あ、不安なら寝るなよって突っ込みはしない方向ね。」
「待ってて下さったんですか?」
「待ってないと思ったのかい?」
「…俺は、嫌われたんじゃないかって。」
今は見えない涙の後を拭うように指を滑らせ何かに促されて何度か撫ぜる。
壊れ物に触るように優しくしていたらくすぐったいと言われた。
「ごめんね。いやだったわけじゃないんだ。ただビックリして。情けないよね。」
「いいえー泣くほど驚かせた自覚はあります…。」
「だよねぇー。て言うかさーヨザックは僕なんかで欲情出来るんだねー。」
「欲情ってそんなあからさまに………猊下は欲情出来ない相手に惚れられるんで?」
「いや理屈では分かるんだけどさ。僕って胸があるわけでもないし?」
「猊下はなんかどっかエロですよ。清潔感溢れてるのにエロです。なんていうんですか?メチャクチャにしたくなる可愛さを振りまいています。」
「何だよそれー君の方がよっぽどエロいよ。声とか筋肉とか、野性味溢れるエロじゃないか。」
クスクスと笑った猊下はまだ眠そうだけどいつもの猊下だ。
自分もようやくほっと息を吐くと猊下の方が笑いを収めた。
吸い込まれそうに大きな瞳が少し揺らぐ。

「…キスだけしてって言ったら、困るかな?」

言葉にすると聡い猊下は俺のほんの少しの迷いでも読み取ってしまうので
ゆっくりと顔を近づけた。
触れるだけのキスをして離れると、瞳はまだ揺れていた。
そんな風に16歳の猊下が俺の気持ちを気遣って下さらなくてもいいんですよ。
にっこりと微笑んで頭を撫で、額にもキスをする。
「猊下、もうお休みしましょう。」
「…君は?」
「ここに居ますヨ。ソファー貸して下さいねん。」
「寒くない?」
本当にお優しいですねぇ猊下は。
俺はねー手の早い男はどうだとかあんな乱暴するなんて酷いとか
色々言われる覚悟してきたんですよ。
お人好しは坊ちゃんの専売特許だと思ってたんですけど
ニホンという国の国民性なんですかね?
類は友を呼ぶんですね。陛下と猊下は正反対だと思ってたのに。
「平気ですよ。雪の中でも腕晒してるの見たでしょー。」
「そうだけどさぁ。僕が気になるんだよね。」
「じゃあ猊下のベッドに入れてくれますー?」
焦点の定まらない瞳で暗い部屋を見回す猊下は俺にかけられる物を探しているらしい。
眉を寄せて目を細める猊下の顔が少し面白くて俺はつい軽口を零した。
それも反省した筈のネタ。俺の言葉に猊下の動きが止まって俺を見つめてくる。
あ、マズったかな。と後悔したが猊下はもそもそとベッドの端に寄ってペロンと掛け布団を捲った。
「ん。」
「…えーっと。」
「何だよ。君が言ったんだろ。」
「ですが…。」
「……何かしたいならそれでもいい。少しだけ優しくして貰えれば僕はそれで。」
真っ直ぐに言って下さる猊下に、俺は反省した。
大人になるって嫌ですよねぇ。こんなに一生懸命な人を前に
冗談でああいうこと言っちゃうんですから。
頭をかいてから猊下の温もりのある場所に腰を降ろして潜り込む。
二人分の重さに大きなベッドが軋んでも猊下はじっと俺を見ていた。
「なんにもしませんよー。ちょっと頭あげて貰えますか?」
「…硬い。」
「グリ江の腕枕がご不満なの?」
「比較する人間が居ないから一概には言えないな。」
なんにもしないって言いましたけどーそんなに擦り寄られると複雑です。
信用され過ぎもどうかと思うわぁーグリ江の理性正直そんなに強くないものー。
これぐらいなら抱き締めても苦しくないかしら。猊下は細くて折れちゃいそうで心配。
「ヨザック。」
「なんですかぁ?」
「……なんでもないよ。」
何となく、猊下の聞こうとしていることが分かった気がした。
大丈夫ですよ。俺は充分幸せです。
「苦しくないですか?」
「うん。」
「じゃあこのまま抱っこさせてて下さいね。」
「…湯たんぽかよ。」
人の温もりでうとうとと落ちていく猊下が俺に突っ込んだらしい言葉の中の単語が
何だか分からなかったけれど焦ることはない。

俺達はまだまだこれからです。

2007.02.12

何が実弾かって、猊下の繰り出す萌え攻撃ですよ(マジですか)
最初は猊下の涙だったりが弾丸のよう俺の心を貫くぜヘイ!っていう
のを目指していたんです…。