落堕


色んなものにあだ名を付けたがる坊ちゃんがこの部屋にお与えになった名前は
魔境だ。
ここは眞魔国なんですけど、魔族がたくさん居る土地なんですけど。
そう突っ込んでみたが坊ちゃんはこの表現をやめようとしない。
机を中心に紙、紙、紙。無事なのはベッドだけなんて甘い。
ベッドも猊下の脚が届かない辺りには本が寝かされているしソファーもすっかり資料のゆりかごになっている。
陛下のお育ちになったチキュウで魔境とはこういう無法地帯のことを言うのだろうか。
おギュン閣下が聞いたら涙ながらにこの国と魔族の美しさを語るに違いない。

「あ、それまだ使う。」
「はいはい。」
書庫に戻そうとした本の山の中から二冊机に舞い戻った。
猊下の手元には走り書きのメモがたくさん。
中には俺には読めない文字。それが達筆なのかどうなのかは分からないが
チキュウの文字は画数が多い印象。
「って猊下、そのメモ全部必要なんですか?」
「いやー思いつくと色んなとこに書き散らしちゃってさーこれで仕事一件分っていう大惨事だよ。」
ホッチキスとかあればなーと、またしても俺の分からないチキュウ語。
聞いたら説明して下さるんでしょうけど、代用品すら用意出来ないシロモノだから
猊下はそれの説明をしないんですよね。
ないならないで頑張って作るのに。
「一枚の紙にまとめたら如何ですー?」
「その作業をするとあら不思議!執務が終わってしまうよ!ってね。だからこれらは終わるまで捨てられない。」
そこで俺の顔を無駄にカッコイイ顔で指差す意味が分からない。
稀有な色を身に纏い4000年もの記憶を持っている猊下は意外とズボラだ。
いや、繊細な人間ならその重さに押し潰されてしまうか。

とりあえず俺は猊下の妙な可愛さに押されて゛はぁ。゛とだけ言って納得して差し上げた。
帳面をお持ちになっては?という指摘もしない、なんて優しい護衛でしょうね。
「ヨザック、この本返してきて。」
両手に抱えられた本を下から支えるように受け取る。
近くなった距離と一瞬の猊下の上目遣い。
重なった手を本と共に拘束して額に唇を寄せる。身長差が辛いけれど頑張っちゃいます。
「…何やってんの。」
「護衛を越えた労働のお手当てを頂こうと思いまして。」
「なんてふてぶてしい、ウェラー卿なんて渋谷の笑顔だけで頑張れるんだぞ。」
「隊長みたいな台詞吐かせたいんすか?俺はその輝く星のような瞳…」
「台詞ハ要リマセン。」
一歩俺へと踏み出して高く詰まれた本が大胸筋に押し当てられる。
どぐぅという鳩の声がして猊下が笑った。
「ゴメンね、居たんだ。」
「えぇ。今日は寒いんで鳩の方が出たがらなくて。」
「いつも窮屈なのガマンして偉いなって思ってたけどちゃんとギブ&テイクがあったわけか。」
本を完全に俺に預けた猊下が横に回って胸の鳩を服の上からそっと撫ぜる。
最初は恐る恐る確かめるように、次にはしっかりと慈しみを込めて。
鳩の方が純粋に猊下のご寵愛を受けている気がするのだが、動物に心癒されている
束の間を邪魔するほど俺の心は狭くない。
本がなければ少し服を開いて鳩の頭だけでも出して差し上げられたのに。
でも猊下は寒いだろうからと断られるんだろうな。
「ギブアン…それなんですかぁ?」
「持ちつ持たれつってこと。」
「エサと寝床と温もりの保証は一生涯よん。」
「あ、じゃあ僕より待遇いいね。キミからは温もりしか保証されてないもん。」
むき出しの腕に猊下の腕が絡んで、布越しに温もりが伝わった。
癖っ毛も俺が大好き、と擦り寄ってくる。
見えない筈の胸の鳩に目を合わせているような猊下はたまにしか見せない甘え顔。
はて?と心の中で首を傾げながら細い肩に回せない自分の腕の状況に困った。
「そういうの本持ってないときにして下さいません?」
「本持ってるからするんだろ。」
「生殺しですか?その前に猊下さえよければ俺と共同のご飯と寝床を保証しますよ。」
「僕のご飯と寝床は皆の税金だから。」
「プロポーズを正論で返さないで下さいネー。さ、税金だって分かってるならさっさとお片付けしましょう。タダ飯は嫌いでしょう?どうして急に甘えたに?」
「んー…分からない。鳩かな。なんかつられた?ヨザの胸でぬくぬくしていいなーとか。」
「猊下が素直になって下さるならグリ江毎日巨乳で来ちゃう。」
「鳩が可哀相。」
クスクスと笑って俺を見上げた猊下は大人で子供の顔。
特注の服の袖を皺を気にせずまくってようやく片付ける気になったフリで向けられた背に
胸の鳩が行かないでとばかりに鳴いても、猊下は振り返らなかった。
貴方の働き振りの前ではここの部屋代と食費じゃおつりがきますよ。
「猊下、俺が戻って来るまでにそこ全部片付けたらご褒美あげますよ。」
そんな、俺が口の端を上げて言う一言だけでは拭えないものを抱えているのに
「言ったな。よっし、頑張っちゃおう。キスだけじゃイヤッ物足りないッ。」
それで全て収めて、それ以上を返して下さるんですから。
あぁ凄い。ズボラで甘ったれな猊下は誰よりもカッコイイ。
「やーだぁ。猊下もついにオカマデビュー?キス以上の為にグリ江ゆーっくり書庫行ってこようっと。」

早く戻って来て、という心の声には気付かないフリ。
声に出されたらそれこそ、俺は猊下に敵わなくなってしまいますよ。
胸の鳩達が出してくれと身じろいだ。
猊下のお心を癒して、俺の心もお見通し、そのうえ気も遣えるとは見上げた鳩胸。
少し寒くなった胸に猊下を迎えるのは持ちつ持たれつ
どうか恋の天秤でありますようにと願いながら書庫への道のりを
笑顔どころか妄想だけで走った。

END

2007.03.08

なんと申しますか。軽口もお互いが自然に叩くといいなぁと思います。
村田のカッコ良さは普段が一番感じそう。仕事中のピリっとしたときより
何気ない会話で懐の深さが測れたらいいのに…私では表現出来ません…orz