夢
渋谷有利は決して後ろを振り返らなかった。
あの美しい姿に騙されて捕まったが最後、どんな恥ずかしい目に合わされるか解ら…
いや、充分過ぎる程に彼は解っている。
それは主に妄想に基づく自分への賛辞と愛の台詞、そしてサインの嵐だ。
今日も元眞魔国イチの美形王佐は自分への愛を囁くのに忙しい。
ちなみに現1位は自分、渋谷有利と同率1位の友人の村田健だそうだ。
ようやくその愛を撒いた彼は友人に匿って貰おうとノックの返事は待たずにその部屋に滑り込んだ。
廊下に響くギュンターの声が遠ざかっていく。
扉に耳を押し当てたまま脱力した魔王にその部屋の主ではないものが声をかけた。
ベッドの上で仰向けに寝ているところを首だけ起こしたのはグリエ・ヨザック。
フォンヴォルテール卿・チイサクテカワイイモノダイスキ・グウェンダルの部下だ。
「また執務を脱走ですかぁ?」
「あー…うん。ってなにそれ、なにやってんの?」
有利はヨザックの腹の上に顔を突っ伏している双黒の大賢者を指差し
人を指差しちゃいけない、とすぐに降ろした。
「コレですか?猊下はお昼寝中なんです。」
オレンジの従者は特に何も問題ない、中国語で言うと無問題、という顔で
似合わない本を捲った。
パラ…という音はいつもこの部屋にある音だが有利には目の前の光景が納得出来ずに、再度突っ込む。
「あのさ、村田がヨザックにくっついて寝るのはこの際許容範囲として…なんで腹に突っ伏しなわけ?せめて膝枕にしない?」
「なんか俺の内臓がぎゅるぎゅる働いてる音が聴こえるのが楽しいんだそうです。」
「その楽しさ全然分かんねぇ…。」
「はぁ…まぁ猊下ですから。」
腹の上で村田を寝かせたままパラ…といつもの音を奏でる彼と
村田の小さな寝息、部屋に差し込む麗かな午後の陽射し。
愛と喧騒の日々から逃れてきた有利の脳みそはその雰囲気に呑まれ
村田だもんな、とついに納得した。
「ヨザック何読んでんの?村田の読みかけ?」
「いいえー。次に行く国のことをちょっと…。」
適当に相槌をうつヨザックは本から目を離さなかった。
自分に全く気を遣わないヨザックを確認し、自分の部屋にあるものと同じように
バカでかいベッドに腰かけて次の瞬間ボスッと後ろに倒れる。
村田が起きてしまうかもしれない音をたててもヨザックは特に何も言わない。
これなら断ることもないだろう。元よりヨザックはこの部屋の主ではないのだし。
瞼を落とす前に村田を見やる、つむじしか見えないが
恋人の腹に顔を埋めて寝ている相手が戦争や葬式の夢を見るとは思えない。
見たとしてもマッスルミュージアムの夢だろう。
「おやすみなさい…IN村田の部屋…。」
寝るときも実況中継。渋谷有利、野球解説者も進路として考察中。
ふ、と有利が気付くとそこは血盟城の廊下だった。
眠る前の記憶がしっかりと残っている、これはまた村田の夢の中だろう。
血盟城ということは一番古い大賢者の記憶だろうか。
廊下で突っ立ったまま辺りを見回していた有利は声の漏れている扉に
何故か忍び足で近寄り音をたてないように開きそっと覗いた。
そこにはいつもの黒衣に身を包んで柔らかく微笑むお仕事中の友人の姿。
「夢の中でも仕事してる…。」
責任感が強いというのか、真面目というのか、ただの仕事中毒か。
起きたら村田が魘されていなかったどうかヨザックに聞こう。
もし魘されていたら魔王の権限で彼に一週間程の休みを与えムキムキのお庭番と行く
温泉の旅をプレゼントしたい。
後半だけ聞くとなんて親孝行な渋谷有利16歳。
営業スマイルと適切な指示を余す所なく振りまく村田の周りには
何故か中学の同級生や草野球チームのメンバーが混じっていた。
自分の夢という可能性も考えていた有利だが知らない顔が村田の高校の制服を
着ていたのでこれは村田の夢でいいらしい。
「じゃあこの件はキミに任せたよ。」
明らかに眞魔国の人間でないメンバーに!と驚く魔王陛下が張り付いている扉の方向に会議を終えた村田が近寄ってきた。
慌てて身を離し柱の陰に隠れる。
夢の中だけあって警備の人間が全く居ない、なんと護りの薄い魔王の城か。
「あの腹筋に顔を埋めていればある意味守りは完璧だよな。」
いつもよりかなり無防備な村田は後ろを尾けても全く気付く気配がない。
護衛としてこんなに使えないコンラートも始めてである。
後ろで゛ぃえっくし!゛の゛ぃ゛まで出しても気付かないウェラー卿コンラート。
嘆かわしいことこの上ない。
「猊下、どうです一杯。」
使えない上に仕事の後まで付き合いたがる面倒な上司ときた。
お調子をくいっとあげる仕草までやってのけた彼に村田は愛想よく笑い返して言った。
「早く帰らないとうちの奥さんは寂しがり屋だからね。」
奥さん。
という響きで浮かんだのが自分の母親であったことに
有利は一瞬とてつもなく凹んでしまった。
が、すぐに心と耳を立て直し聞き捨てならない会話を拾う。
「奥さんと言えば、今日のお弁当も美味しそうでしたね。」
「ちょっと乙女チック過ぎるけど。」
「そぼろでハートなんて新婚のうちだけですよ。」
何てベタベタな嫁だ!桜色のアレでやられるよりはマシだけど!
曲がり角を曲がると景色がガラリと変わった。
城下町である。唐突に日が暮れ、オレンジが景色を染めていく。
夢の中でも匂いを感じるのだな。夕飯時だけあって色んな家からスープや肉を焼くいい匂いがしてくる。
健やかに育ちますように、と願われた村田健より健康体の渋谷有利は
あぁー尾行にはアンパンだよなーとちょっと古い発想をして腹を空かせた。
「お?」
村田が路地を曲がりある家のピンポンを押す。
ここが村田の愛の巣、新婚さんのお家らしい。
相手の顔が見える距離まで近付こう。
不自然に道に置かれているポリバケツにしゃがんで身を隠す。
以前はエッチな夢やクラスの女子が出て来る夢なんてそう見ないと言っていた癖に。
アイドルか、もしや安めぐみなのだろうか。それよりヨザックはいいのだろうか。
言葉に出せない問いかけを背中に浴びる村田を迎え入れたのは
「お帰りなさいませ猊下ぁ♪ご飯にします?お風呂にします?それともグ・リ・江?」
「えぇーーーーーーーーッ!?!?!?!?!?!?」
「「っ!!」」
バッと二人が飛び起きたのはほぼ同時であった。
目が合うと村田は悲惨な状況に目を見開いた。対照的に有利の目は笑っており、口元は緩んでいる。
「村田おまえっ!」
「やめろ渋谷!それ以上言ったら許さないぞ!!」
「ありえねぇー!夢は深層心理とか願望とか言うけどっ…。」
「うわーーっ!!」
詳細が零れでるより先にNON体力派の村田がヨザックの腹を飛び越え
有利にタックルを仕掛けた。
横から飛び付かれ押し倒されても魔王の笑いは収まらない。
「つか逆だろお前達!何でグリ江ちゃんがお出…更にメイド服だった!?」
「な、なんだよ!大賢者とお庭番だったら絶対に大賢者の稼ぎが上だろ!それと断じてメイド服ではなかった!」
「ははははは!!にしてもありえねー!お帰りなさ…。」
「やめろってば!!」
村田は真っ赤な顔で有利の顔に枕を押し当てて黙らせた。
更に数秒そのまま黙らせた。もう少しそのまま黙らせている。
有利のバシバシとシーツを叩く動作に、寝起きの二人の激しいじゃれ合いを傍観していたヨザックがマウントポジションで魔王を窒息させようとしている大賢者を慌てて止めた。
「離せー!僕の心に土足で踏み込むなんていくら魔王でも許さないぞ!!」
「寝起きに二人でわけのわからんことを!猊下!暴れないで下さいよ!」
「…っし、死ぬかと思った。」
「…渋谷。」
「何だよ、旦那さん。」
夢のお嫁さんに羽交い締めにされている村田は恨めしそうな目で有利を見据えた。
いやらしい顔と声で返されてもじとっとした目で見る以外反撃はしてこない。
もう魔王を殺しはしないだろう、とヨザックが自分を解放すると村田は
ベッドの端に無造作に寄せられていた掛け布団を手繰り寄せ、枕を置き指差した。
「渋谷、もう一度寝ろ。今度は僕がキミの夢の中に入る。」
「起きたばっかでもっかい寝ろって言われてもなぁ。」
「いいから寝ろよ。渋谷だって絶対にありえない夢を見てるハズだ。僕以上に、絶対、間違いなく。」
「俺がお前と同系統の夢を見たとしても画的にはOKだと思うぜ?」
なんと言っても魔王陛下のお相手は絵画から抜け出た天使、フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムである。
例えメイド姿でも、普通に可愛いだけである。
「普段はハードSMとか体育倉庫のテニスネットであの子を捕獲大作戦☆な夢見てるんだろう!?」
「何だよソレ!俺ってお前の中でどんな趣味の人間なわけ!?」
「いいから!僕と一緒にもう一度寝ろって!」
ぼふっと布団をかけられ腕を引っ張られて二人で仲良く寝る体勢。
うーっと唸る村田に対しハードSMの夢を見た事がない有利は余裕の表情だ。
夢の中に入るなんて、猊下は寝ても覚めても坊ちゃんと一緒ですかー。
話から察するに俺も居たんでしょうけど、それは本当に夢の中の俺で
実際の俺は恋人が他の男と添い寝してるのを見てるんですよ。
「それにしても…随分難しい顔してますね。」
眉間に皺を寄せる二人が見ていたのは、
今まさに自分達に布団をかけ直している甲斐甲斐しいお庭番の
裸エプロンだった。
2007.03.01
グリ江ちゃんの腹筋に顔埋めて、そりゃおかしな夢も見るわさ。
これでもヨザケン設定ですけど!