生活
海に不自然な波が立ち、浜辺に黒いものが打ち上げられた。
手をついて起き上がろうとする村田の肘が折れ、胸は再び砂浜に埋まる。
遠目からその姿を確認したヨザックは馬に大きく鞭を入れコンラッドを追い抜かした。
「え?猊下が?」
「あぁ、眞王廟から使いが来た。今回はお1人らしい。」
ヴォルフラムが嫌な顔をしそうだな。そう肩を竦めたコンラッドの楽しげな顔に
悪戯っ子の笑みで返したヨザックはどうしようかと思案を巡らせた。
猊下が来るというのならお迎えに上がりたいが、自分はこれから仕事へ立とうとしていたのだ。
遠征用のドレスもメイク道具も暗殺道具も準備して後は馬に乗るだけである。
折角愛しい人がやってくるというのに何と運が悪い事か。
猊下は仕事には厳しい。貴方の為に仕事を遅らせたなどという甘ちゃんなことを言ったら
そんなケジメもつかない男は要らないと切り捨てられかねない。
「ひと目見るぐらいなら捨てられないっすよね?」
「それこそ離れ難くならないか?」
「早く帰って来たくて仕事頑張るんじゃないですかー?」
「お前が疑問系で言ってどうする。」
双黒の少年に振り回されているのは自分も同じな癖に、コンラッドが
どうしようもないという顔で笑うのでヨザックは明後日の声と顔を作って馬に飛び乗った。
砂浜でパカラッと音がなるのは松平健の馬だけだよなぁ。
閉じてしまいそうになる目を一生懸命に開けて、自分を呼ぶ声を聞いていた村田は
もう一度力を振り絞って上半身を起こした。
頭が痛い、とても立ち上がれそうになかった。前に手をついているのに
何故か左側へ重心が傾いていく。身体はどうやら倒れたがっているようだ。
海水に濡れた服が風に晒され冷たくなって肌に張り付き体温を奪っていた。
最悪だ。自分は濡れる前から病人だったというのに。
せめて病み上がってから呼び出してはくれまいか。
家で一人淋しく寝ることも許されないと言うのか。
風邪を引いたところで優しく看病してくれる両親が帰ってくるわけもなく…
その前に二人は息子が風邪で寝込んでいることすら知らないだろう。
ヘロヘロしながらも洗濯をしなければ、と思ったらコレだ。
高熱に魘されている人間を水の中へ引きずりこむとは、眞王は鬼だ。
ん?魔王と鬼はどちらが凶悪なのだろう?
熱のせいで思考が現魔王化しているがそれにセルフで突っ込む気力もない。
「猊下!」
「やぁ…お迎えご苦労様…。」
真っ青な顔で弱々しく言われてもご苦労しているのはあきらかに村田である。
海風から庇うようにして腕の中に抱きこめると彼はそのまま全てを任せるようにぐったりと力を抜いた。
水滴と砂がついたメガネを外して張り付いた前髪を避ける。
いつも水の中からやってきて濡れてはいるがこんなに冷たくはないハズだ。
それに服もいつもとは雰囲気が違う。有利がトレーニングに使っているジャージ
というものに似ていて何故か裸足だ。
「猊下、一体どこから流されたんです?氷の世界で修行を?」
「家だよ…ウルリーケに言っといてくんない?僕、高熱出して寝てたんだけどって…。」
濡れた服をされるがままに脱がされて問答無用でコンラッドの温もりの残る隊服を羽織らされる。
「痩せましたか?ちゃんと食べてます?」
「や…ここ三日くらい水しか飲んでない…。」
「何やってんですか!食べないと治るもんも治らないですよ!」
「…ごめん。」
言い訳も何もなくぐったりとしたまま素直に返されるとそれ以上怒る気にもなれない。
村田の不摂生は今回に始まったことではないのでヨザックは大きく溜息を吐いた。
軽くなった身体を抱き上げて馬に乗る頃には村田は完全に意識を失っていた。
はぁはぁと繰り返される呼吸以外、大好きな声は聞こえない。
「近くだと思ったから癒しの一族を入れていないんだ。」
「プー閣下でも居てくだされば良かったんすけどね。」
こういうときには魔力のなさを少し恨む。ハーフだったら微弱でも使えればいいじゃないか。
せめて風邪ぐらい治して差し上げられればいいのに。
ギリ…ッと唇を噛むと鬼のハズの眞王に願いが届いたのか、前から天使がやってきた。
「ウェラー卿!」
「ヴォルフ!」
「ユーリはどこだ!?お前が猊下を迎えにと聞いて…」
「聞かなかったのか?今回は猊下だけだ。そんなことよりヴォルフ…。」
「そんなことだと!?貴様!王が国に帰らなかったという事実をそん…」
「閣下!猊下が死にかけてるんですよ!!」
「なに?」
基本的に有利しか見えていないヴォルフラムの早とちりと鈍感さにイラついて
ヨザックはただの風邪の村田をつい重病人のように言ってしまった。
腕の中で苦しげに息を吐く村田に大きな外傷はない。
額に手をあて、エメラルドグリーンの瞳を細めたヴォルフラムが心に語りかける。
「なんだ、ただの風邪ではないか。死にかけなどと大袈裟に。」
「だってこの人こうなってから水しか飲んでないって言うんですよー。」
「あぁ…だから召使いの一人でも雇えばいいとユーリに言ったのに。」
「猊下も陛下も地球では一市民だ、それにしても召使いとはどういうことだヴォルフラム。」
村田の頬に少し赤味が戻ってきたところでヴォルフラムは美しい手を引いた。
眉を寄せ、問いかけたコンラッドではなくヨザックを何秒か見つめたが
彼は何かに気付いたらしく呆れたように溜息を吐いた。
「お前は何も知らないようだな。そんな風に恋人の座に甘んじて何も知ろうとしないようではいつか切り捨てられるぞ。」
「なにがですか。俺は猊下を知ろうといつも一生懸命ですよ。」
「ふん、コイツは一人で暮らしていることも知らないのにか?」
「待て、猊下のご両親はまだ健在だろう。」
「仕事で家に居ることがほとんどないとユーリが言っていた。自分で食事を作る気力がなかったから食べられなかった。そういうことだろう。」
「な…。」
腕の中で少し回復した村田からそんなことを聞いた事はない。
いや、村田は問われない限り自分のことは話さないのだから、知らないということは
自分が聞かなかったということだろう。
一人で暮らしている、ということから村田の生活を想像しようとしたが
どんな所に、どんな風に、普段は何をしているのかを全く知らないことに気付く。
いつも村田の気を引こうと一生懸命に語りかけていたつもりなのに
チキュウでの彼の生活を、ヨザックは全く知らなかった。
愕然とする。自分は村田の何を分かっているつもりでいたのだろう。
「何をボーッとしている!反省するのならソイツをギーゼラに診せてからにしろ!」
わがままプーに怒鳴られる声もどこか、傷付いた心の彼方で響いていた。
2007.02.22
これ続きます!!!続きはWEBで!始まりもWEBだしね!!!
これでWEBじゃないところに続いたら逆に凄い。