roller canary−ローラーカナリア



「母上、少しお話があるのですが…グウェンダルとヴォルフラムも聞いて欲しい。」
夕餉の席の終盤でそう切り出したコンラートに
一人だけ除け者にされたユーリが前に置かれたデザートを困った顔で見た。
魔王が臣下の家族を気遣う必要などない。
優しいユーリの前で妙な状況を作り出すなんて、護衛失格だろう。
せめてユーリが席を外しやすいようにデザートを食べ終わってから話を切り出すべきだ。
ムッとしてコンラートを睨みつけると、珍しい事にすぐ上の兄は緊張しているようで
僕の視線とユーリが皿を持って立とうとしている事に気付いくと
自分でも参ったなという顔で苦笑する。
「ユーリにも、あとでお伝えしなければならない事ですので。」
「あ、そう?俺このケーキが大好きでさ、意地汚く別の部屋に持って行こうとしてたよ。」
「それで、話とは何だ。」
ほっとしている意地汚いユーリを兄上は低い声で一刀両断して先を促した。
兄上もコンラートの様子がおかしい事に気付いているようだ。
母上だけはいつも通りの微笑みを讃えて首を傾げている。

「身を固めようと思うのです。」

「…は?」
「マジで!?えー!誰と誰と!?つーかおめでとう!!」

第一声を間違った僕にユーリが祝いの言葉を被せる。
名付け子に祝福されたのが嬉しいのか、結婚が嬉しいのか
コンラートは目尻を下げた。
「兄であるグウェンダルを差し置いて心苦しいのだが…。」
「めでたい事ではないか。俺など気にする必要はない。」
「そうよコンラート、グウェンとアニシナは時期さえ合えばすぐにお式を挙げられるんだし。それより、私の知らない間にいい人を作っていたなんて、水臭いわ。」
前半と後半で兄上の納得度は大きく異なったがコンラートの話の骨を折るまいと
兄上はぐっと突っ込みたいのを堪えた。
母上はコンラートを抱き締め、その成長振りにうっとりと瞳を細める。
「お相手はどなた?」
「母上もよく知っている者です。」
「じゃあ俺も知ってる?」
「ユーリもグウェンダルも、ヴォルフラムも知っていますよ。」
微笑まれても、僕には瞬きしか出来なかった。
どこの誰だか知らないが、このコンラートが身を固める日が来るなど思ってもみなかったからだ。
ジュリアを失ったあの日から彼の愛情はユーリだけに注がれてきたハズだ。
恋愛感情ではなくとも全てを王に捧げていると思っていたのに。
婚約者の僕が嫉妬するほどの真っ直ぐな愛情に横槍を入れられる人物が
家族以外の他人に居たなんて信じられない。
「ああん、勿体振らないで教えて頂戴。」

「ヨザックです。」

そのときの感情を僕は一生忘れない。
脇腹を剣で刺されて、頭を後ろから鈍器で殴られて、そのうえ目を抉られたような
自分の半身が持っていかれる衝撃。
「ヨ、ヨザックゥ!?!?」
「はは、驚きますよね。俺自身、気付いたときには随分悩んだものです。」
「まぁ…幼い頃から共に過ごしてきた者のかけがえない愛しさに気付いたのねコンラート!!えぇ、よろしくてよ。私にとってもヨザックは息子同然、貴方と幸せになってくれると言うのならこんなに嬉しい事はないわ!」
ヨザックへの罪の意識にいつも胸を痛めていた母上が目に涙を浮かべる。
助かる確率がないとされたあの戦場から2人が戻って来たとき
母上は何日も泣き暮して以前のようにヨザックに触れられなくなった。
そのわだかまりから、母上はようやく解放されるのかもしれない。
義理の息子となったヨザックに手放しで愛情を注ぐ事が出来る。
「グリエ・ヨザック…あやつ、どこまで俺を…。」
「グウェンダル兄上、押したのは俺の方だ。どうしても欲しくて、毎晩酒に誘ってしつこく口説き続けたからね。」
「うわー…そんときのヨザックのリアクションが超気になる。つかよく落とせたねアンタ。流石、百戦錬磨の獅子。」
「恐れ入ります。」
そこは否定する所だろう。頭の奥で聞こえた突っ込む声は僕であって僕でない。
コンラートを祝う輪の中に、僕は入れなかった。
同じ机を囲んでいるのに僕だけが蚊帳の外。

今、目の前で幸せそうに話しているのは本当に僕の兄のコンラートだろうか。
すぐ上の兄はいつも、僕の様子がおかしくなったら誰より先に気付いてくれた。
ユーリが帰ってきてからもそれは変わらない。
それは僕とコンラートが確かに兄弟である証拠だと思ったのに。

僕を置いてけぼりにして話を進めるな!

「…何故、グリエなんだ。城にはお前を慕う者が大勢居ただろう!お前の周りにはいつも…!」

立ち上がった僕の声はみっともなく震えて、ユーリが服の裾を引っ張った。
これがどこかの貴族の令嬢なら僕は納得出来ただろうか。
ギーゼラやエーフェだったらぎこちなくでも笑えただろうか。
僕では持ち得ない女性の優しさ、と諦められただろうか。
僕の、憤りに近い感情にコンラートは困ったように笑った。

「ふと、気付いたんだよ。俺は自分の未来にヨザックが居る事を当然のように信じていると。」
「それなら、母上だって兄上だって変わらない。」
随分と子供っぽいことを言っている自覚はあった。
独立して家を出て、親や兄弟とは別の場所で暮らすのが普通だろう。
母上が上王で、兄上が摂政で、コンラートはユーリの護衛、僕は婚約者。
この環境がなければ成立していない距離だと、分かっている。
だけど僕は認めたくはないのだ。
「俺はヨザックと居るつもりなのに、アチラが女でも作ったら困るでしょう?」
「それ友情なんじゃねーの?」
「どうかな、長く居過ぎてもう友情は越えてしまった気がします。野球で言うと、パートナーのキャッチャーを誰にも渡したくなくなったんですよ。意識し始めると独占欲なんてもんが湧いてしまいましてね。家に帰ってアイツが居たら面白いだろうななんて妄想まで。ヨザック相手に、困ったもんです。」
肩を竦めて見せたコンラートの言葉にも顔にも、困っている様子はない。
コンラートは愛しさや切なさではなく、他の誰かでは成し得ない居心地の良さと安らぎを欲っして行動に起こしたというのか。
僕が分かち合えなかった痛みが、二人なら分かち合える。
魔族と人間の血も、二人一緒なら何かあっても卑屈になったり言い訳にしたりはしない。
寿命だって、僕等とはきっとそのうち、違ってくるのだろう。

「女房役が恋女房にって?コンラッドは俺の予想をことごとく超えてくるね。」
「アレがよくお前を受け入れたな。」
兄上はまだ頭が痛むようだ。
自分の腹心として重宝していた男が弟の婚約者になるのは
何かと複雑な想いがあるのだろう。
「諦めの形に近いと思うよ。面倒臭い俺の世話役を腐れ縁のまま引き受けてくれただけさ。」
「ふふ、そんな風に言って。でもヨザックが相手なら連れてくれば良かったのに。」
「そんなこっ恥ずかしい状況に身を投じるのはゴメンだと断られました。」
「あらぁ、でもお式は盛大にさせて頂戴ね。ヨザックはドレスでもいいのかしら?いいわよね?」
「グリ江ちゃんならいいんじゃないすか?」
「お前は本気でそれを言っているのか?」
「だってツェリ様はやる気満々だぜ?グウェンにツェリ様を説得する力があんのかよ。」
「…ないが、しかしアレの女装は仕事の一環だ…式ぐらいきちんと挙げてやったらと。」
「私がふざけていると言うの?」
「いえ決して…。」
「式自体嫌がりそうですけどね。ドレスは戴いておきますよ。きっと喜びます。」

カマ言葉で喜ぶヨザックに、それを幸せそうに見ているコンラート。

僕の脳みそはドロドロと融けてそれ以上の想像を拒否している。
ダメだ、どうやっても受け入れられない。

大体、どうなんだ。
どっちがどっちでどうなんだ。
いつの間にか席についてぐるぐるしていたら
僕と相思相愛のユーリが僕の胸の内を代弁してくれた。

「あのさーあんまりいい質問じゃないんだけど聞いていいか?」
「何をです?求婚の台詞ですか?」
「言いたいのかよ。それはあとで聞いてやるから。コンラッドとヨザックってどっちがどっちなの?」
「あぁ…それは勿論、俺に乙女の心はないですからね。」
「…。」
「グウェンの顔が更に複雑になったけど、どっちの答えでも複雑だろうね。」
「それ以上言わないで頂こうか、魔王陛下!」
「うわゴメン!ゴメンって!無粋でした!無神経でした!」
「でも、コンラートにドレスと言うのも捨てがたいわねぇ…お化粧栄えしそう。」
「母上、俺達はひっそり二人で教会に行ければそれで充分ですから。」
「そう?二人がそう言うなら仕方ないわね。」

いいものか。
絶対的に、いいものか。
愛しいユーリの笑顔も、尊敬する兄上の素っ気無い祝福も
僕を産んでくれた母上の喜ぶ声も、何も耳に入らない。

ちっちゃい兄上は、僕と結婚してくれるとあのとき誓ってくれたじゃないか。
約束を先に破ったのはユーリと婚約してしまった僕だけれど
でも、こんなに突然、結婚して誰かのモノになってしまうなんてあんまりだ。

幼かった頃は、ちっちゃい兄上が僕の全てだった。
僕は将来この人のようになるのだと、信じて疑わなかった。
すれ違い、道を違えた今も、口に出さないだけでそれは変わらない。
コンラートもそう思っていると、信じていたのに。



また僕を遠ざけるのですか、兄上!!



「ヴォルフラム!ヴォルフラム!!!!」
「ぴっ!!」
「大丈夫か?すげー魘されてたけたけど。」
「あ…僕は…。」
ユーリの暖かい手と眼差しが僕を心配している。
頬には涙が伝った感触。
甲斐甲斐しく涙を拭ってくれる手に頬を摺り寄せて現実へと自分を引き戻す。
「悪い夢を見た…。」
「何?また俺が浮気する夢?」
もっと悪い夢だ、と僕は思った。
婚約者の浮気以上にと思うのはユーリが普段から尻軽な行為をし過ぎているせいであって
決して、コンラートの存在が大きいからではない。
浮気者。僕がこんなに哀しいのはユーリのせいだ。
「陛下、そろそろお時間ですが…珍しいな、ヴォルフがもう起きてるなんて。」
「…っ!コンラートーーーー!!!!」

茶色の瞳に自分が映し出されたら、痛みが蘇えってきて
失った半身を取り戻すかのように、僕はコンラートに縋った。
服を掴んで、行かせまいとした。
目頭が熱くなって無性にじゃり言葉が使いたい。

「ヴォルフ?一体どうしたんだ?」

戸惑いながらも、広い胸が僕を受け止める。
僕がこんな風にコンラートに触れることなど十数年なかったせいか
コンラートは呆然としているユーリを疑って一瞬庇うように手に力を込めた。
何があっても僕を護ってくれる、変わらない温もり。
「俺じゃねぇよ!そんな疑いの目ぇ向けられても俺は弟さんにまだキスすらしてませんから!」
もっとコンラートの手が欲しくて涙を擦り付ける。
それが肯定ではなかったのだが、コンラートは僕をますます腕の中に抱き込んでユーリを威嚇し続けている。
ユーリには悪いが僕はこの手を離すつもりはない。

「なんですかー?朝から揉め事なんて、家政婦じゃなくても出てきて仲裁しなくちゃーな気になっちまいますよ。」

「!!グリエ・ヨザック!」
「はぁい?どうしましたぁプー閣下。可愛いお顔が台無しよん。」

僕がようやく半身を取り戻したのに、それをまた奪おうと現れたのか。
その間の抜けた口調でコンラートをたらし込んだのか。
祝福なんかしてやるものか。
兄上がいいと言っても、母上がいいと言っても
ユーリがいいと言っても関係ない。



「お前なんかにちっちゃい兄上は渡さないじゃりー!!」



僕は、その日から三日間クローゼットを中心に生活した。



roller canary−ローラーカナリア





roller canary→カナリアの一品種。巻き毛で、美しい声を震わせて鳴く。愛玩用